Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

単なる自分の実力不足を 組織で解決するべき大きな問題と捉えていないか

何かの問題に対して、要因を深ぼって組織的に改善するというのは正しいアプローチだと思う。

一方で、自分自身がその問題を "過度に" 重く捉えてしまっているだけで、実は組織的に改善する問題ではなかったということが過去に何度かあった。何のことかちょっとわかりづらいが、このあたりの話を雑に整理しておきたい。


一言で言えば、「ただ "自分の実力が不足しているだけ" の話を "組織で解決するべき大きな問題" と過大解釈していないか?」ということである。

たとえばあるプロジェクトのコードについて、「設計がよくなくてコードを読みづらい」、「ドキュメントが少なくて意図がわかりづらい」、「テストコードが書きづらい」と感じたとする。

これは実際にそうなのかもしれない。一方で、IDE/エディタの機能やAIコーディングエージェントを使いこなせば実はそこまで問題に感じることはないかもしれない。自分がツールを使いこなせていないだけで、過度に大きな問題と捉えてしまっている可能性がある。

自分はこういう認識のズレみたいな経験が何度かあった。今は「◯◯するのに時間がかかる」、「◯◯するのがむずかしい」といった表現で問題を認識している時は要注意だと思っていて、「単なる自分の実力不足によって問題を過剰に大きく認識していないか」といった感じで自分自身の問題認識をいったん疑ってみることにしている。

「自分の実力不足もあるとして、それは組織的に改善しない理由にはならないよね」と感じるかもしれない。それはそう。自分で解決すべきことと考えすぎて問題提起をしないのもよくない。

ただ、そういう自分が "下手くそ" なだけの状態の時ってたいてい問題を正しく認識できていないことも多い気がするんだよな。結果として "理想の姿" の解像度も低く、「じゃあどうする?」という解決策の筋も悪くなってしまう。

組織で解決すべき問題を個々人の実力不足と捉えてはいけない。一方で、個々人の実力不足の話を組織で解決すべき問題だとすぐに結びつけてはいけない。なんかどっちつかずなことを言っているし、この判断は難しい。

この判断の正答率を上げるには、つまるところ個人の研鑽が不可欠。自分が関わる周辺領域について常にアンテナを張りキャッチアップして、"問題を正しく認識できる確度" を上げておく必要がある。要は個人で "強くなる" 努力をし続けるしかないという話で、普段から本を読んだりWebから情報を仕入れたりコミュニティに出向いたりすることがとても大事なのだと思っている。

むずかしいね。"この世の不利益は全て当人の能力不足" という心持ちでがんばろう。