Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

実質的に役割を持つのと明確に責任を持つのは全然違う

実質的に何かの役割を担っている"自称"の状態と、組織図上にも表されるような自他ともに認める明確な責務を持つ状態とでは、あまり変化がないようで全然違うという話を雑に書いておきたい。

たとえば「ほぼマネージャーみたいなことをしてます」という状態と「マネージャーとしてやってます」という状態は、マインドも動き方もプレッシャーも実は全然違う。

同じように、「事業責任者みたいなもんですね」という状態から実際に事業責任者というタイトルがつくと、想像よりも周囲の期待や自分のスタンスの変化が大きい。

タイトルが大事というわけではないが、名付けがされると自他ともにそのタイトルに対する期待イメージがより明確になる。それに伴って自分の心持ちや考え方、行動が変わるのはもちろん、周囲の反応も変わる。たとえば実質技術責任者みたいな役割を担っていた人にCTOという名付けがされると、急に「CTOとしてどう考えているのか」といった感じで接されることもある。

当人としては、自分のやることはそこまで変化がないのに急に周囲からのプレッシャーが増したように感じるかもしれない。だが本来責任を持つというのはそういう状態なのだ。実質的に役割を持っているのとは全然違う。

そんな責任は持ちたくないよという人は別にして、実質何かの役割を担っている人は明確に名付けして責任を自他ともに認識を揃えるほうがいいと思う。その方がある種逃げ道がなくなるので自分がやり切るための強制力をかけられる。何倍も頭をつかって手を動かさないといけないことにも気づくと思う。これはとてもよい経験になって、仮に短期的にはうまくいかなかったとしても結果的に次につながることが多い気がする。

もちろん組織による。フラットな組織形態だったりティール組織になぞっていたりするとちょっと違うかもしれない。また、実態としては現行の組織体制や報酬制度の都合でやりづらいというのもあると思う。それでも、何か実質的に役割を担っている人は明確に"責任者宣言"をしておく方が期待のズレも起きず自分への暗示にもなっていいと思う。

一方で、こんなことを書きつつも個人的には役割とか責任とかしゃらくせえという気持ちもチョットある。「誰もやってないなら俺やるわ!」みたいな感じで餌を投げ込まれた鯉のように浮きそうなボールを皆が我先にと掴みに行ったり、「これはやるべきだからガッとやるわ!」みたいな感じで手を挙げて「じゃあそれで」ってノリでシュッと動いたりするような、役割や責任がふわっとしてても個の力で前に進んでいく"やっていき野武士集団"が好みではある。

要はバランス (雑) なのだが、今はそういう好みは持ちつつも明確に"責任者宣言"をするのがいいのかなと考えている。