自分の文体に近い形式でAIにブログ記事を書かせることはできるのだけれど、なんだかあまりそうしたくない気持ちがあり雑に考えを書いておきたい。
自分の場合、ブログを書き始める時点では内容の結論が明確になっていないことが多い。
なんとなく困っていたり課題に感じていたり、逆にすごくいいなと思っていたり真似したいなと感じていたりすることを深ぼっていく。そうするとだんだんと「こういうことかもしれないな」とわかってきて、最後にタイトルを決めて吐き出している。
その過程で色んなことを考えて行ったりきたりして自分の考え方が整理されていく中で、"美学"や"信念"みたいなものなんかも見えてくる感覚がある。
この出力プロセスをAIに任せるのはよくないというか、そこを任せて何の意味があるのかと感じてしまうのである。
自分にとっては色々と幅を広げて考えるプロセスを経てから考えを深めていくこと自体に意味がある。もちろんすぐに整理できないこともあるがそれがよいのだ。
AIに考えてもらって何パターンか出力されたものを先に見てしまうと、なんとなく自分の考えていることの結論が誘導されてしまうような気がする。「たしかにそういうことかも?」みたいな感じで簡単にバイアスがかかってしまう。
そうすると、なんというかゲームの攻略をめちゃくちゃ詳しい人に勝手を指示されているような感覚になる。AIに伴走してもらうなら、一定自分で納得するまで考えて攻略したあとで完全攻略を目指して"攻略本"的な補佐をしてもらうのがよいのだと思う。最後の最後に足りてない観点を補足してもらうとか。
そんなことを書き連ねつつ、これは自分が考え方をアップデートできていないだけではないかと感じることもある。たとえるなら「電子辞書より紙の辞書を使うべきだ。そのほうが単語を覚えるし例文や前後の単語も目に入って学習が進む」という主張をし続けているのと同じなんじゃないかという気持ちになる。常に「自分の考えを変えるべきではないか」と気をつけなければならない。
とはいえ、現時点では何かの考えをまとめる工程では情報収集以上にはAIを使わず、自分で考えて出力するプロセスを大事にしたいと考えている。だいたいわかったのでこのあたりで終わりにする。
ちなみにこの話は YOUTRUST 社主催の PRODUCT HISTORY CONFERENCE 2025 での自分の登壇内容24Pくらいでも触れている。参考資料の 今はまだ生成AIに自分の文章を書かせたくない - An Epicurean も少し方向は違えどすごくよい内容だった。