Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

意見を言ってくれた人を孤立させない立ち振る舞い

2021年も雑にまとまりのない話を書いていくぞ!

今まで4社くらい経験してきた中で、嫌だなあ何とかしたいなあと思っている課題がある。「意見を言ってくれた人がなんだか孤立してしまう現象」である。どういうことか何となくイメージがつく人も多いのではないかと思う。

例えば何かのフローの改善提案をしてくれた時。課題と解決案を提示してくれた人 vs その他の人たちのような構図が生まれてしまうことがある。答えのない難しい課題ほど、そういう空気になりがちだったりする。

本来そういった意見を出した人は最大限リスペクトされるべきである。30点レベルであってもたたき台を作るのが一番大変だし、何かを提案するという行為自体がとてもエネルギーのいることだからだ。

しかし、悪意はなくともなんだか対立構造のような形になってしまうことがある。自分も何度か経験があって、「あれなんで俺こんな責められてるみたいな感じになってるん?」と感じて途中で萎えてめんどくさくなってしまったこともある。

一方、提案に対して意見を言う立場でも同じことが起きる。例えば誰かが反対意見を言った時に、なんだか相手を責めてしまっているような、どうしようもない嫌な空気になってしまった経験はないだろうか。あるいは、ただ理由や背景を質問しようとしただけなのになんだか対立構造みたいになってしまったりとか。真面目な人ほど、自分のそういう発言で空気を悪くしてしまったことに対して後で自己嫌悪になってしまう傾向がある気がする。とてもつらい話である。

もちろん、意見を言う人自身が工夫できるところはたくさんある。例えばこのへんを意識すると、自分が意見を言う時には楽になる。

ただ、自分以外の人が意見を伝えてくれた時にはその人が孤立しないようにうまく立ち振る舞いたいなあという気持ちが強い。ファシリテーターの立場でも参加者の立場でもどちらでもいいが、意見を言った人も聞いた人もいい感じになれるといいなと思う。

まあ答えはないのだけれど、フォロワーシップ、心理的安全性、やっていきのっていきみたいなワードにつながる話である。組織文化レベルで解決するべき話でもあり、情報共有方法やミーティングルール、個々人のファシリテーションスキルである程度緩和できる話でもある。何か言ってくれたらまずそのこと自体に感謝を伝えるだけでだいぶ違ったりする。

まあそういうメチャメチャ苦しい壁だって ふいに なぜかぶち壊す 勇気と POWER 湧いてくるのはメチャメチャきびしい人達が ふいに 見せたやさしさの せいだったり するんだろうね ※ ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・ます!