Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

指摘を批判と捉えない

誰かからの指摘を批判と捉えて過度に落ち込んだり反射的に言い返したりしまったりすることがある。

 

「指摘を批判と捉えない」というのは、"素直さ"を要素分解したうちの1つと言えると思う。

もちろん伝える側の表現に問題があることもあるけれど、攻撃されてるわけでもないのに勝手に自己防衛モードに入ってファイティングポーズ取ってしまう人は意外といる。

 

なぜ指摘を批判と捉えてしまうのかをあえて自分だけの問題として考えてみると、「能力が低い」「機嫌が悪い」の2つの結果ではないかと思う。

 

元も子もない話だが、能力が低いという話に帰着するというのが自分の結論である。

ここでいう能力というのは、一言でいうと想定力である。結局、自分が想定してなかったことを言われて処理しきれない時に発生する現象なのだ。全部先に想定されてる話なら、指摘されても批判とは捉えない気はする。

 

宿題をやってない子どもがおかんに宿題やらなくて大丈夫?と聞かれた時にうるさいなと反発してしまう構図とチョット似ている。

 

他の人が指摘しそうなことは全部想定しておく、想定していないことを指摘された時に受け答えできるようにしておく、それができれば指摘は指摘として処理できるんじゃないかな。これは能力の問題で、性格などではない。伸ばしていこう。

 

一方で、能力だけの話ではなくその時の"気分"も関係するのは間違いない。

めちゃくちゃ気分が落ちてる時にちょっと耳の痛い指摘をされると、自分をチクチク責められてるように感じるというのは正直あると思う。余裕やゆとりと言ってもいいかもしれない。変に邪推したり曲解したりして勝手に相手を敵にして指摘を批判と捉えないよう、気分を安定させよう。

 

まあ指摘の仕方が下手くそなことも多いけれど、相手に変わってもらうより自分が変わったほうがコントロールしやすい。「こうきたらこう」みたいな感じで想定しつくせるよう能力を磨きつつ、適度に運動してよく寝て気持ちのゆとりを保とう。

 

めちゃくちゃマッチョな話になってしまった。これ自体が批判と捉えられるかもしれないが、指摘ですらないzatsuなのでカンニンしてください。