Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

やりたい人だけやればいいクラウドファンディング

昨今のインターネッツには無数のクラウドファンディングがひしめいている。

こんなことを言ったら怒られてしまいそうだが、「それくらいなら自分で2ヶ月バイトすればいいのでは...?」と思ってしまうものもわりとある。特に、自分の夢を実現するためにお金が必要という話だと、なんでその金額でクラウドファンディングなんだろうと思ってしまうのだ。

これは自分の考えが古いのかもしれない。とりわけ10代20代にとって2ヶ月という時間は何物にも変えがたく、今すぐ実現できるのであればできた方がいいのだ。金銭の支援をしたい人がいるのならwin-winでしかないし、クラウドファンディングはその理想を可能にする素晴らしい仕組みなのだ。

ここで重要なのは、クラウドファンディングというのは"支援する人"がいなければ成り立たないという点だ。どんなに納得できない内容だろうが、読んでいてイライラしようが、支援する人が一定数いなければ成立しない。何に価値を感じて何にお金を払うか、価値観が近い人が自由にやりとりするだけで、その他の人に迷惑をかけるものではないのだ*1。つまり"やりたい人だけやればいい"という話だ。実際に、批判に対して「嫌なら何もしなければいいだけ」という人もいる。

言いたいことはわからなくはないが、この"やりたい人だけやればいい"という主張は自分はあんまり好きではない。そう、これはもはや好みや美学の話であって正解・不正解の話ではない。ちなみに誤解のないように言っておくと、クラウドファンディング自体は素晴らしい仕組みだと思っているし、それのおかげで本当に救われた人もいるのを知っている。あくまで、なぜクラウドファンディングなのかという理由を深掘りしていった時の"やりたい人だけやればいい"という意見に対してはそんなに納得できていないという話である。

なんで好きじゃないのかと考えてみると、他の集団に対して排他的になりがちだからかもしれない。自分に賛同してくれる人達の集団の中で生きるのはとても楽なんだけど、そういう中にいるとどうしても視野が狭まってくる気がするんだよな。「他の集団から見たらどう思うかな?」みたいな想像をしなくなって、気づかないうちに思考が浅くなったり攻撃的な口調になったりしがちではないかと思う。

クラウドファンディングに限らず、限定されたコミュニティに所属しているとどうしても常識がその世界の中に閉じていくような気がする。色んな価値観の人と触れ合って受け入れていかないと、そのうち内輪のノリが暴走しそうで怖いなと感じているのかもしれない。ちょっと話が飛躍してしまうが、宗教に執心している集団が怖いのと感覚は似ている。

評価経済社会において、この考え自体が古いと言われるかもしれない。うーん、そう言われるとそうかなーとも思うんだけど、"やりたい人だけやればいい"という考え自体が他者への想像力が欠如しそうでやはりちょっと怖いんだよね。

ほんの一面しか見てないのに発言するなみたいなこと言われそうでビビってきた。気分を悪くしたらごめんよ。もし嫌だったら読んで怒る前に無視してくれ。読みたい人だけ読めばいいのかもしれないしね。

*1:なんだかムカつくという感情の話は除く