マネジメントの仕事を始めて1年半くらい経った。日々ハチャメチャが押し寄せてきて泣いている場合じゃなく、落ち込んだりもしたけれどわたしは元気です。
主に気持ちの持ち方みたいなところでの変化を雑に3つくらい書いておくことにする。
自分がやる必要はない
全部やろうとせず委譲するのが大事とはわかっていても、それをやっていると「俺いる意味あるんか...?」と感じることがある。側から見るといわゆる自己組織化、適切な権限委譲が行われているということになるかもしれないが、当人は焦ってしまったりする。
自分が為すべきことを明確にして、それを達成できるのであればどんな形でもよしというマインドを持っておくとよい。メンバーを信頼して任せるというのはもちろん、自分にできないことをまわりを巻き込んで達成することも必要。極端な例だと、自分の言葉でチームメンバーのモチベーションを上げられないのであれば、別の適切な人を召喚するという方法もありうる。Fearless Changeを読もう。
自分がすべてやる必要はない。そのスタンスを自分から宣言しておくとなおよい。何事も自分が選択して動いているという感覚が大事なのかもしれない。
全ての責任が自分にあるわけではないが理由は自分にある
日々起こることすべてが自分の責任と感じてつらくなることがある。あれも想定しておくべきだった、これも手を打てていなかったみたいなことがめちゃくちゃ起こる。
自分ごととして捉えるのはいいんだけど、責任を感じすぎてつらくなってしまうのは自分にとってもメンバーにとってもよくない。つらそう、大変そうという雰囲気はまわりに伝播する。楽しそうにしていることが何より大事なのだ。
そのためのマインドセットとして、責任ではなく理由が自分にあると考えるようにしている。ただの言葉の違いではあるのだけれど、結果の理由として自分の行動があると思うと自分にとっては楽なのである。
期待のすり合わせが何より大事
チームで何かする時にうまく進まなかったりイライラしたりする原因のほとんどは期待のすり合わせができていないこと。期待がすりあっていない理由は「伝えていない」、「伝わっていない」のどちらかで、両方ともマネジメント側の行動で変えられる。
意外と期待を全く伝えていないことも多い。相手にどういう期待をしているか話してもいないのに、勝手にここまでやってくれるだろう、やるべきだと考えてその差分で感情的になってしまったりするわけだ。文字にすると自分が悪いことはすぐにわかるんだけれど、慣れるまではかなり意識しないとできなかった。今でもできていないことが多い。特にチームへの期待は明確に示せていないと思う。
チームの方向性を示したり、各人の役割や目標を話したりするのもすべて期待のすり合わせのため。その設計がマネジメントには求められる。
経験に学ぶ愚者か歴史に学ぶ賢者かでいうと自分は愚者なんだけど、これは学ぶの定義によるよねとも思う。日々やりきれていない部分をフォローしてくれる同僚氏、相談に乗ってくれる同僚氏には感謝している。