Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

全てを自分の"作品"として仕上げる

自分のまわりのすごいなと思う人の仕事を観察していると、ひとつひとつのタスクを自分の"作品"のように仕上げているように見える。実際に彼らがどう考えているかはわからないが、自分から見た印象を雑に書いてみる。

たとえばチャットツールでの依頼のメッセージひとつ取っても、過不足なく端的な内容になっている。人によっては読み返して細かい表現を編集して変えていたりもする。美容師の最後の仕上げのようである。

エンジニアであれば、コード自体はもちろんコミットログを丁寧に残したりとかもそう。GitHubを使うならそこまでコミットログ自体にこだわりすぎなくても履歴を追いやすいが、それでも手元でrebaseやsquashを駆使して綺麗に整えている。

同様に、IssueやPull Requestのテンプレートがあればそれに沿ってきっちり埋めてくる。テンプレートのままの状態で出したり無視して適当に書いたりしない。もしも意味のない項目だと感じたらテンプレート自体を修正するPull Requestを出してくる。余談だけれど、OSSリポジトリだとテンプレートがあっても何も読まない人も結構多くてびっくりする時ある。

ドキュメントを書くときも同じ。同じ内容が重複しないように既存のドキュメントも検索するし、既存ドキュメントに手を入れるのであればフォーマットに合わせつつ周辺も改善して仕上げている。新規に作成する時にはストックかフローかを意識してタイトルも置き場所もこだわって残している。"作品"が後世に残ることへの意識が強いように見える。

開発物や登壇資料なんかは当たり前に"作品"として仕上げていくだろうけれど、それ以外の細かいものも熟練ダンサーの指先みたいな感じで洗練されている印象がある。

全てが"作品"なんて考えでやってたら時間がいくらあっても足りんわって感じる人もいそう。わかる。気に入らない出来の壺を何度も割りながら納得のいくものを作っていくみたいなことをしている時間はない。アニメ制作なんかはもう少し感覚が近いかもしれない。作家のこだわりとスケジュールと収益のバランスを取るジレンマを感じながら"作品"を仕上げていっている。

そこまで考える必要はないが、あらゆることに対して自分が今できる一番の"作品"を作るような気持ちで臨むのがいいのかもしれない。できるかどうかは置いておいて、そういう気持ちでいるとアウトプットもスピードもだんだんと変わってきそうな気もする。

余談になるが、自分はたまに絵を描くことがある。まず全体をざっと描いてからだんだんと色を足して仕上げていくこともあれば、勢いでシュッと描いて終わりってこともある。そう考えると、仕事や作業を"作品"として捉えても、進めるステップや目指すべき完成度はある程度コントロールできるとは思う。