"言語化能力"とは何なのかちゃんと説明できないので、雑に分解して考えてみる。めちゃくちゃややこしい言い方をすれば、"言語化能力の言語化"である。
考えてみると、自分は "整理しづらいことを整理して人に伝える力" を言語化能力と呼んでいる。
整理しづらいこと
答えが明確で整理しなくても自明なことについて、言語化がどうこうという話にはならない。
たとえば人の感情が絡むことや固まりきっていないチームの価値観など、整理しづらいことが言語化の対象となる。
ここでいう整理しづらいことというのは、答えがないまたは答えを示すのが難しいことと言い換えてもいい。
整理する力
言語化のためには、自分でよく考えて"練"っておく必要がある。
考える元となる情報をインプットする "情報収集力" はもちろん、普段から色々なことを考えてああでもないこうでもないと考える "思考力" も必要。とっ散らかった情報を整理整頓できるまで思考するのである。
たとえば何かイライラした時にそれがなぜかを落ち着いて考えるなど、自分の振る舞いを振り返って脳内想定試合をしまくるような "内省力" も求められる。
答えのないチームの指針を明文化する時などは、具体的な事象から "抽象化する力" が必要になる。
抽象化するには、物事をなぜなぜと深堀って考える "論理的思考力" も必要になる。この思考には、瞬発力はそこまで求められない。会議などでシュッと論点を整理できる人は言語化能力が高いと思われそうだが、実はその場で考えるより前に普段から色々と考えて思考が整理されている結果だと思う。
色々考える過程で、他の人がどう感じるか発想を広げる "想像力" をフル回転させることもある。この想像力というのは、経験に基づく実体験と読書や伝聞からの疑似体験の数によって培われる。
人に伝える力
言語化するには、考えて"練"った話を人が理解できるようにまとめて "発" 信する必要がある。
1対1なのか1対多なのかによっても違うが、相手の立場や状況、思考などを "想像力" を働かせて想定しておかなければならない。いわゆる言語化能力の話をされるときは、1対多を想定されることが多いように思う。「こう感じる人もいるかもしれない」、「こう捉える人もいるかもしれない」といった感じで、最大数をカバーできる表現を探すのである。
抽象的な話だけでは伝わらないので、今度は適度に "具体を混ぜる力" も必要になる。人は具体的な経験と照らして「わかる...」とか「それや...」といった反応になる話を見たときに"言語化されている"と感じる。
適切な言葉を選べるだけの "語彙力" に加えて、相手によっては、共感を誘うような "表現力" も求められる。 知っている単語の数はそこまで多くなくてもよくて、平易な言葉をいかに選べるかの方が重要。
一方で、共感はするけれど解釈が広がるような内容では言語化とは言えない。一定の答えを明確にして理解してもらう必要がある。シンガーソングライターの歌詞を見て言語化能力が高いとはあまり言わない。
人に何かを伝える上では、"シナリオ構成力" が一番重要かもしれない。整理する切り口、伝える順番など、どうすると一番伝わりやすいかを決めるのが一番難しい。いくつか自分のシナリオフォーマットを持っている人もいて、その数が多いほど早くまとめられる。
そんなに体系的にはまとめられてないけれど、自分の解釈をざっと書いてみるとこんな感じ。他の人の意見も聞いてみたい。
言語化能力と聞くと、伝える力 "発" を想像されやすい気がする。だが、自分のまわりの"言語化能力"が高い人を見ていると整理する力 "練" のほうがすごい。要は普段からめちゃくちゃ色々なことを想像を広げて考えているのである。
言語化能力を鍛えるのであれば、"練" が十分かを考えてみたほうがいいかもしれない。その上で「"発"でもいいの?」って感じで鍛錬の成果を見せるといいんじゃないかな。