「AとBどちらにしましょうか?」、「Cというやり方はどうでしょう?」といった感じで選択肢が提案された時に、「どちらでもいい」ではなく、常によりよい方を考えて選ぶスタンスでいたほうがいいと思っていて、このあたりの話を雑に書いてみる。
何かの方針提案だけではなく、コードレビューでのちょっとしたnits的な指摘でも何でもそう。意見に対して、「どちらでもいいです」、「それでも問題ないです」のように返してしまいたくなることがある。
本当にどっちでもいいなと思うことももちろんある。あるんだけど、よく考えてみるとそれは "自分にとっては" どちらでもいいというだけなんだよな。評価軸を考えてみると、どちらでもいい中で "よりよい方を選ぶ" ことはできる。
どちらでもいいってのは、「評価軸とか考えるまでもないくらい些末な話」ってことなのかもしれない。些末かどうかというのも無意識的に評価している結果ではあるんだけど、正直検討も必要ないと感じちゃうんだろうね。気持ちはチョットわかるけれど、どんなときにも "よりよい方を選ぶ" 癖をつけたほうがいいと思う。
なんでかというと、そのほうが物事が前に進みやすいんだよな。大なり小なり、物事を前に進めるのは意思決定の連続で、誰かが何かを決めている。「どちらでもいい」という意見を表明するということは、その意思決定を誰かに委ねているとも言える。自分が意思決定者かどうかでも変わってくるけれど、スタンスとしては常に "よりよい方を選ぶ" ようにしておいたほうが、議論が平行線にならず前に進みやすい。
「どちらでもいい」ではなく、「(気持ちは) どちらでもいいけど、強いて言えばこっち」とかね。それか「(自分は) どちらでもいいと思うので、今から修正しないほうがいいと思う」とか。
「やらなくてもいいと思う」も同じ。「やらなくてもいい」ではなく、「やらないほうがいい」か「やったほうがいい」のどちらかを伝えるようにすると、他の意見を持ってる人と話せるし、意思決定者が他にいてもイチ意見として考慮しやすい。
「このままでも問題はない」とかもそう。「問題はない」というのは、現状維持のほうがよいという意味ではない。「問題はないけど」、「問題はないから」のように続く言葉がないと前に進みにくい。
自分の感情や気持ちを混ぜず、判断として少しでもよりよい方を選ぶスタンスを持っておくとよい。めんどくさそうに見えるけれど、たぶん慣れるとあんまり意識せずできるようになる。意思決定慣れと似てるかもしれない。自分のまわりのすごいなと思う人は、みな常に best を考えつつ better は何かを探っている感じがする。
最後に、これは人によると思うんだけれど、ニンゲン同士のコミュニケーション観点でも「どちらでもいいですよ」とか「問題はないですよね」みたいな返答は避けたほうがいいと思う。提案が拒絶されていると感じる人もいるんじゃないかな。意見を受け取られていない寂しさ / 悲しさ を感じるかもしれないし、「これでいいじゃん」が当たり前になって組織レベルが下がっていくような不安を感じるかもしれない。"感情" がノイズになって、これもまた物事が前に進みにくい要因になってしまう。ニンゲンだからね。
実際にはいろんな複雑な事情があって、よりよい方を選ぶのってむずかしいよな。あくまでスタンスの話で、必ずこうしなければいけないというものでもない。自分は常によりよい方を選ぶように頭を使う方がよりよいんじゃないかなと考えて、そういうスタンスを選んでる。