誰かの何かの行いに対して、至らない点が気になってしまうことは誰でもある。
たとえば、ソフトウェアの不具合を報告してくれた時に、「正直もう少し事象を整理したり原因の切り分けをして伝えてほしいな」と感じてしまったとか。不具合を見つけいち早く報告してくれたこと自体は素晴らしくて感謝すべきなのに、至らなかった点の方が気になって指摘してしまったりする。
何かの提案の内容がそこまでよくなかった時なども同じ。"よくなかった" という結果に目が行ってしまって、たたき台を作って準備してくれたことや提案してくれたことに対するリアクションが希薄化してしまったりする。
相手の行いのよかったところとよくなかったところを無意識のうちに "平均" した印象で評価してしまいがちなのだと思う。よくなかったところは目立って印象に残りやすいので当然と言えば当然である。
先の例で言えば、まずは「報告してくれてありがとうございます」と報告自体は認めた上で感謝を伝える方がいい。そのうえで、伝える前にお願いしたいことや伝え方の話を別途フィードバックしていく。
慣れるまでは、「とにかく認めて感謝できるところを探す」くらいのスタンスでいるといいのかもしれない。「そんなこと続けてたらじわじわストレス溜まってしまうわ」と思われるかもしれないが、相手を認めて感謝を伝えていくと自然に自分の気持ちも前向きになっていく感じがする。もしかしたら人によるのかもしれないけれど。
特に職種や部署が違う人とコミュニケーションを取る時には、行いを "平均" した印象で接するのではなく、できているところを個別で認めて感謝を伝えるようにしたほうがお互いやりやすくなる。
これは仕事だけではなく夫婦生活などでも同じかもしれない。「洗い物も風呂の準備もしてくれていない」というマイナス点と「洗濯物は畳んでくれた」というプラス点の結果を平均してマイナスの評価として相手を認めないようなコミュニケーションを取ってしまうとあんまりよくない気がする。
相手がやってくれたことやできていたことはそれ単体で認めて、明確に感謝を示すこと。そして、次の曲が始まるのです。