Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

俺はハラスメントをしていないか

ビルド待ちだ。駄文を書こう。

昨日の夜から、カンファレンスで身体的特徴に言及するのはナシだよね、アンチハラスメントポリシーを載せるべきだよねという話がTLにいっぱい流れてきた。実際に不快な気持ちになった人がいて、楽しみにしていたカンファレンスを途中で抜けてしまったということだったらしい。経緯に関わらず、誰かが嫌な気持ちになるのは悲しいことだ。

イベントではアンチハラスメントポリシーを明記しようぜというのはその通りだと思うし何も意見はない。気になっていくつかのポリシーを見てみたが、個人的にはメル社の規定しているポリシーは簡潔でよくまとまっていて素晴らしいなと思った。

about.mercari.com

何かをダメと伝えるときに難しいのは、「なぜダメなのか」「どこからダメなのか」を理解してもらうところである。ポリシーを読むとわかると思うが、矛盾がないようにかなり抽象化されつつ長くならない程度に具体的な内容を書いている。これはいわばリファレンスだ。何かあったときに立ち返って、ほらダメだよねと伝えるための材料になる。しかし、これを読んだからといって"心から理解した"状態になり行動できるかというとそうではない。なぜ友達に意地悪をしない方がいいかを何度も子供に伝え続けるのと同じように、理解と行動には隔たりがあると割り切った上で根気強く伝えていくしかないのだ。大人も子供も大差はない。

先の例に戻ろう。何か主題のあるイベントで身体的特徴に言及してはダメな理由は、関係がないことに言及することで主題が伝わりづらくなりカンファレンスの意義が薄まることの防止、そして不快な思いをする人がいるかもしれないことへの配慮だと思う。ここはポリシー次第な気もするので間違っていたら教えてほしい。

後者の「かもしれない」というのが難しいところである。この「かもしれない」という意識は、人の想像力に依存するからだ。想像力は経験によって培われる。車の教習でも何でもそうだ。つまり、経験がないことは自分でもまったく気づいていないということもありうるのだ。

俺は怖い。自分がハラスメントをしていないか、振り返ってみるとたぶんしているかもしれない。それがわからないのが怖いのだ。イベントの行動規範に限った話ではない。根底にあるのは「主題のある話をしてるときに身体的特徴の話は不要でしょ」みたいなことだと思うが、SNSや職場の発言で何かまずいことを言っていないだろうか。何かの記事をシェアして、○○さんめっちゃ痩せたなとか書いたことはたぶんあると思う。これはどうなんだろうか。

逆の立場だと、俺もインタビューで写真が載ったときに筋肉筋肉という感想が流れたことがあるが、まったく気にしていなかった。でももしかしたら気にする人がいるのかもしれない。気の置けない仲だと思って話したことでも、実は相手を傷つけているかもしれない。そう考えるととても怖いよね。俺は息子に1日に150回くらい可愛い可愛いと言っていて、他所の子にもついつい可愛いですねと言ってしまうことがある。極論いうとこれもまずいシチュエーションもありうる。さすがにそんなことないでしょ?と思うかもしれない。でも、たぶん今回カンファレンスで「かわいい」と言った人も同じくらいのテンションだった可能性もありうる。自分の想像力を疑って行動する必要があるのだ。

少なくともイベントではポリシーに沿った行動を心がけることはできる。それはとても意味のあることだ。ただこれはひとつの事象であって、意識に浸透できているかというと懐疑的だ。はたして俺はハラスメントをしていないのだろうか。不特定多数の人に伝わる場でのコメントや発言をする際には、特に慎重になろうと思った。みんなで教えあって仲良くやっていけるといいよね。根底にあるのは他者への思いやりだと思うので、場を整えてくれているイベントの運営の皆さんにも感謝の心を忘れないようにしたい。

ビルドはとっくに終わったのでこれで失礼する。アデュー