Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

歯に衣着せぬ発言と美学について

雑に考えをまとめておきたい。雑すぎて気分を悪くしたらすまない。自分が「雑に書く」というときは別に深く考えていないわけではなく、「色んな印象で捉えられるのをできるかぎり想定して文章を練る手間を省くよ」という意味なので、ちょっとムッとしたとしても受け流してもらえると嬉しい。

職場でもどこでもあることだと思うんだけど、歯に衣着せぬ発言をあえてする人っているよね。例を出すのは難しいけど、「もうちょい言い方考えようよ」と思わせる言い方で人をイラつかせるというか。自分はわりと気が長い方なのでオイオイと思うだけでそんなにイライラすることはないんだけど、当然イラっとする人もいて、そういう時に空気が悪くなるのはつらい。

チームで何かするのに向いていない人だと言ってしまえばそれまでなんだけれど、そういう人は2種類のタイプに分かれるんじゃないかと感じている。自分の発言が空気を凍らせていることに気づいていない人と、気づいているけどあえてやっている人の2種類だ。

前者に関してはもうどうしようもない。先天的なものもあるのだろう。まわりの人間に恵まれることを祈るばかりである。

もう少し深掘りして考えたいのは後者についてだ。すなわち、あえて歯に衣着せぬ発言をしている人である。色んな状況があるだろうけど、ここでの話は会議でそもそも論をするみたいなレベルの話ではない。上司が部下に何かを気づかせるために厳しい発言をするのとも違う。もっと根本にある、人への"思いやり"みたいな話だ。嗚呼、自分で書いてきて悲しくなってきた。会社は学校じゃねえんだよレベルの話だが、そういう人はよくいるので仕方ない。

自分の感覚だが、何か物事を前に進めるためにリードする役割を担ったことがある人は、話がこじれそうな言い方をしない。思いやりとかそういう話というよりも、ちょっとした物の言い方の違いによって物事が進みにくくなるケースがあることを実体験から知っているからだと思う。こういう立ち振る舞いの微妙な調整というのは、きっと一度経験しないとできないものなのだろう。

なぜそんなめんどくさい言い方をしてしまう人がいるのかなーとたまに考えていたのだけど、結局今でもよくわかっていない。今のところ「そういう発言をするのがかっこいい」という発想が根っこにあるんじゃないかと考えている。数多く存在する中二病の一つといってもいいかもしれない。

どういう行動をするのがカッコいいかという感覚は、それ自体がその人の美学であると思う。そしてこれは持論だが、その感覚は22歳を越えるとなかなか変えられないと思っている*1。つまりそういうことだ。

雑すぎて心配になってきた。けどいいよね、ZATSUブログだもん。じゃあの。

*1:ちなみにこの持論は、るろうに剣心の高荷恵の「バカねェ。齢二十二に なるともう性格の矯正なんて出来ないわよ(クス…)」という台詞に大きな影響を受けている