Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

「もちろんです、変な質問大好きです」

また雑さが少なくなってきたのでリハビリとしてより雑めに書いていくことにする。

以前一緒に働いていた Product Manager はヒューマンスキルの権化のような人だった。

会議の時にはアイスブレイクで常にまわりを和ませてよい空気を作っていたし、何でも相談したくなるような雰囲気を醸し出していた。

自分が一番すごいなと思ったのは、CSメンバーが申し訳なさそうに「すみません...ちょっと変な質問していいですか?」と話しかけたときのことだ。彼は振り返って 「もちろんです!変な質問大好きです!」 と即答していた。

間髪入れずにこの返答ができるのはすごい。彼とはかなり近い距離で仕事をしていたが、当時はハチャメチャに忙しくて正直余裕もなかったはずだ。その雰囲気を感じていたからこそ、CSメンバーも最初申し訳なさそうに話しかけてきたのだと思う。それでも話しかけられた時は一瞬で切り替えて柔らかい雰囲気を作っていた。

「そもそも暇そうにしてたらそんな気をつかわれることもないやろ」という意見もあるかもしれない。それはそうなんだけど、実際にはそんなかっこよくいられないこともあるじゃないですか。むしろ自分がすごいと思ったのはあまりに自然に一瞬で切り替えてられていたところである。長年"型"の練習をしてきた達人のようだった。

こういう振る舞いは最初は意識してもなかなかできないが、演じているうちに自然とできるようになる*1。今でも自分の中にリトル◯◯さんを飼ってふとした時に思い出して意識している。自分の中では彼のヒューマンスキルはトップオブトップで、そういう真似したいと思える人と近いところで働けたのはとても幸運だったと思う。

そんな彼はいま起業している。勝手に彼のハードルを上げてしまうようだが、採用募集もオープンなので、気になる方は応募してみるといいと思う。

"期待を伝えること" と "相手がそのとおりに動くと期待すること" を分けて考える

「他人に期待するとギャップがあった時に勝手に裏切られた気持ちになるので期待しない」というスタンスをたまに聞く。実は自分もそのスタンスを取っていた時期がある。

今は少し考えが変わって、"相手に明確に期待を伝えること" と "相手がそのとおりに動くと期待すること" は分けて考えるほうがいいと思っている。このあたりの話を雑に書いてみることにする。


「相手に期待しない」というスタンスは、楽なようであんまり楽じゃない。たとえば夫婦生活でもそう。「期待しない」ってのは合理的で聞こえはいいが、よほど心の弾力を失っていないかぎりは結局だんだんと不満がたまってイライラしてくる。「俺、正直感情がなくて全てが滑稽に思える」を地でいけるくらいの人じゃないと厳しいと思う。

「相手にこうしてほしい」という期待を明確に伝えられるスキルは身につけたほうがいい。内容、タイミング、伝え方などスキルとして磨けるところは色々ある。どんなことでもそうだが、自分でコントロールできるようにするにはどうしたらいいかという考えを持っておくと楽になる。

その上で、明確に期待は伝えつつも「相手がそのとおり動いてくれることは期待しない」というスタンスがよいと思う。期待値を下げておくというのも自分でコントロールできることと言える。なんというか、期待しないわけじゃなくて "期待しすぎない" の方が近いかもしれない。芦田愛菜氏も似たようなことを言っていた気がする。*1

仕事でも一定以上の大きな成果を出すなら周囲を巻き込むことが必須になってくる。その時には "期待を伝えて動いてもらうスキル" が非常に重要。これはマネージャーでもプレイヤーでも同じ。自分の経験で言えば、明確に期待を伝えられるとそれに応えようとしてくれる人が多い気がする。これは自分の人の運がよかっただけなのかもしれないけれど。

「期待しないから何も伝えない」だと結局しんどくなる。「期待を伝えた上で期待しすぎない」というのがよいと思う。期待を伝えるというのは正解がないことが多いのでむずかしい。このスキルを磨くには実践で数をこなすしかない。誰かに何かを依頼したりフィードバックしたりする機会の数がそのままスキルとして積み上がっていく。

とはいえここまでつらつらと書きつつ雑なことを言うと、結構めんどくさいのであんまり肩肘張って無理しなくてもいいと思う。あくまで「相手に期待しない」というのはたぶんそんなに楽でもないというだけの話である。

反対意見がたくさん出た時のお作法

何かを共有したり提案したりした時に、想定していたよりもたくさんの反対意見が出ることはよくある。あまりにたくさん反対されると、サンドバック化してボコボコにされる感覚でしんどくなる人もいるかもしれない。

反対意見が出た時の振る舞いには一定のお作法があると思っていて、それを知っておくとちょっと楽になると思うので雑に書き出してみる。そうなる前に進め方で改善できるところもある*1けれど、それはいったん置いといて「反対意見がたくさん出たらどう振る舞うのがよいか」という観点で考えてみる。

1. お礼を言う

  • ちゃんと話を聞いて真剣に考えてくれているからこそ反対意見が出る
    • 実際にそうじゃなかったとしても落ち着いてそう考えてみるのが大事
  • 内容や伝え方に憤りを感じたとしてもいったん置いておいて、まず意見を言ってくれたことに対してお礼を言うこと

2. 初動の方針を伝える

  • たくさん反対意見をもらうと、それに対して意見を言うことも怖くなってしまいがち
  • 反対意見に対する正式な回答は最初は必要ない。まずは「どうしていこうと考えているか」を伝えるだけでもいい。たとえば「来週末までに意見を読んでヒアリングもさせてください」とか
  • 大事なのは"できる約束"を積み重ねること。最初は絶対にできる小さいアクションでよいので、いつまでに何をしようと思っているかを早めに伝えた方がいい
  • 初動だけでなく、状況や考えていることをこまめに共有し続けること。内容自体ではなくその後の対応によって不信に思われてしまうのはもったいない

3. 意見を正しく理解する

  • 文字面ではなく本意を正しく理解するのが大事
  • 必要に応じて、直接1対1で意見を聞く機会を作るとよい
  • 深ぼっていくと、だいたい以下のケースに当てはまる
    1. 想定できていなかった
    2. 想定はしていたが重要視していなかった
    3. 内容が正しく伝わっていない
      • 実は「真っ向から完全に反対」ということではなくて、わからないから説明を求めているだけということも多い
    4. 伝え方のせいで受け入れられていない
      • たとえば、理解はできるけど無理やりポジティブに伝えているように感じて癇に障って受け入れられないとか。文字にすると幼稚なようだが意外とよくある
  • 内容によっては、各チームのマネージャーにヒアリングとフォローアップを依頼するとよい。よき協力者を作っておくと進めやすい

4. 仕切り直すかを決める

  • 反対意見を踏まえて、「反対意見は色々あってもそのままやるべき内容か」という観点で考えてみる
  • その上でやるべきだと判断したら、次に「やりきれるか」という観点で考える。全員が納得するのは無理だとしても、遂行が難しいほどの状態かどうかを判断する
  • 「ごめんなさい、やっぱりやめます」を選択肢として持っておくこと
    • これを言えるのは悪いことではない。むしろ意見を聞いて修正する判断ができることはポジティブに捉えてもらえる
    • ただし、何度も頻発してはダメなので意見を正しく理解したうえで決断することが大事
  • 仕切り直さず説明してそのまま遂行するという決断もある
    • 内容によってはいわゆるトップダウンでの意思決定
    • "お試し期間"を決めてやってみるというアプローチを取ってもいいかもしれない*2

5. 意見を受けてどうするかを伝える

  • ここまでのステップを踏んでいれば、もうそこまで反対意見は出ないか、出たとしてもやりきる方針で決断できていると思う
  • このステップまでコミュニケーションを取らずにステルスで動くとどんどん期待も上がってやりづらくなるので注意
  • 全体に伝えるのか、意見を言ってくれた人に先に伝えてみるのかといったところは工夫が必要。できるなら少ない人数で伝えてみて反応を見た方がいいと思う
  • 内容によっては、これらのステップを何周かしていく必要もある。一度では綺麗にまとまらないこともよくあるので、根気強くコミュニケーションを取って修正し続けること

ざっくりこんな感じだろうか。もっといいお作法が色々ある気はする。

もちろん反対意見自体がそこまで出ないような事前の進め方の工夫も色々あるとは思うけれど、まあそんな綺麗にいかないことも多い。反対意見がたくさん出ると、強張って動きにくくなってしまいがち。あれはつらい。

そうなった時にどうするか引き出しを持っておくと、より大胆にいろいろな共有や提案をしていけるようになると思う。ギャグが滑った時に何を言うかを考えておくのとチョット似ているかもしれない。

心理的安全性とバーベキュー

最近初めて働き始めた嫁氏から「心理的安全性」という言葉が出てきてオォ~~と思った。

心理的安全性という言葉自体が認識齟齬を起こしやすい言葉なのだけれど、嫁氏とああだこうだ雑談していたことをめちゃくちゃ雑に書いてみる。


心理的安全性が高い状態ってのはな、バーベキューで何をしていいかオロオロする人がいないというのとチョット似てる。

「俺野菜切るわ」、「私火起こすね」を遠慮なく言いだせるし、何もしてない人がいたら「これやってくれる?」とはっきり言える。

買い出しする時も自分が食べたいものを遠慮せず言えるし、「マシュマロはいらんやろ」、「いや絶対いるやろ」のように好き勝手に言えあえる状態。仮に立場が違っても意見を言いやすいこの関係性を"心理的安全性が高い"と言うんじゃなかろうか。

ちなみに俺はどちらかというとオロオロ側なことが多かった。自分がどう役に立てばいいかわからない状態はつらい。その状態に気を遣ってもらってるように感じるのもつらい。あれこそが心理的安全性が低いってことじゃないのか。

仮に今のチームで一緒にバーベキューに行ったとして、何か言い出すのに遠慮しそうか?好き勝手にものを言えそうか?なんかやりづらそうにオロオロしそうな人が出てきそうか?遠慮するとしたらそれはなぜか?そんな想像をしてみると、心理的安全性という言葉よりも考えやすいかもしれない。

いやーわかるようでよくわからん。仕事とはぜんぜん違うんじゃない?オロオロしてたのはあなた自身の問題もあって、もし例えるなら"リーダーシップ"の話なのでは。そもそもそんなやりづらい関係性でバーベキュー行かんやろ。

ただ、そんな思いつきのオチも見つからない例えを適当に話せるこの状態は"心理的安全性が低い"ってやつな気もするわ。

あと、この言葉はわかりづらいからあまりチームでは使わんほうがいいってこともなんとなくわかった。サンキュー。


CIと食洗機 - Konifar's ZATSU もそうだが、嫁氏と話すとぜんぜん違う視点に気づけるしツッコミも適度にもらえてありがたい。

余談だが、嫁氏が働き始めて半年くらい経って日々圧倒的に成長しているのを感じる。夜に仕事でどんなことがあったのか聞くのが楽しみである。

オンラインミーティングでカメラをONにすべきか

「オンラインミーティングでカメラをONにすべきかどうか」という議論をたまに見る。カメラをONにしたほうが視覚情報も得られてコミュニケーションを取りやすいので、"カメラON推奨" のようなルールを決めているところもあると思う。

自分は「カメラONじゃなくても反応を多めにすればいいとは思うけれど、結構むずかしいのでスキルがないならカメラONにしといたほうがいい」という意見を持っている。どういうことかを雑に書き出してみる。


実は自分の所属でも当初 カメラはできるかぎりオンにしよう という指針*1を作っていたが、3週間くらいやってみて変えた。

github.com

背景は Pull Request の description に書かれているとおり。サマリは以下。

  • カメラON"推奨"という全体指針は、強制力がないため結局ONにしない人も多くあまり意味をなさなかった
  • カメラONにしたい理由は表情などの"反応"の情報量を増やしたいからだとすると、参加者として"反応をする"こと自体を指針にしたほうがよさそう

ミーティングだけではなく、オンラインコミュニケーションでは自分の状況や考えをいかに齟齬なく伝えられるかが重要。カメラで顔を映すと、頷いたり考えたりしている反応が見えるのであまり工夫しなくても自然と情報量が増える。

逆に言えば、カメラに映す以外の方法で十分に反応を示せているのであればそれでもいい。コメントに随時反応を書いていったりemojiリアクションをつけたりといった、オンラインミーティングならではの情報量の増やし方もある。反応の情報量を増やすことが重要で、カメラONというのはその方法のひとつでしかない。

その上で、カメラをONにすべきかというと、自分はできればONにしたほうがいいと思っている。オンラインコミュニケーションはむずかしい。自分の周囲を見渡した感想でしかないが、カメラON以外の方法で多めに反応するというのは皆がすぐに身につけられるスキルではないように思う。かくいう自分も、十分な反応情報を示せる自信がないのでミーティングではできるかぎりカメラをONにしている。ミーティングツールにアバター機能があるならそれを使ってもいいかもしれない。

「情報量を増やしてほしいと思ってるのはファシリや管理者だけで、参加者はそこまで問題に感じていない」という意見もあると思う。一理ある。けどねぇ、感覚的には参加者も含めて皆少しずつ負荷がかかっているような気もするんだよな。

あと自分はもう慣れてしまったが、カメラに顔を出して話すというのは実はオフラインで会って話すよりも抵抗あるし緊張すると思う。特に、全員が顔を出していない場で一部の人だけが顔を出している状況はやりづらいかもしれない。そう考えると、カメラON"推奨"のような「できる人はやってね」的な打ち出し方はあまり機能しないと思う。実際に自分の所属組織では意味がなかった。やるなら0か100かのほうがいい。かといって、"強制"とか言われるのは嫌だと思う。

あまりむずかしく考えず、まずはよくミーティングをするメンバーの中で話してどうするか決めるのがいいと思う。たとえば、一緒にキャンプしたことがあるようなメンバー同士であれば正直どっちでもいいかもしれない。いきなり組織全体の指針とかで考えると大変なので、まずは小さく試してみるのがいい。

皆がカメラをONにするのが当たり前みたいな状態になると、正直何も感じなくなると思う。カメラをONにすべきかどうかといった空中戦の議論をするよりも、チームでワーキングアグリーメントを決める実験みたいな感じでまず2~3週間くらい全員カメラONにしてみて振り返るのがいいんじゃないかな。そのうえで、いくつかのチームの結果を集めてみて組織全体としての指針にした方がよいかを決めるのがいいかもしれない。

実行責任が先、説明責任が後

責任には ResponsibilityAccountability の2種類がある。 厳密な訳ではないけれど、前者を「仕事に対する実行の責任」、後者を「組織に対する説明の責任」という理解をしている。

この2つは両方大事なのだけれど、責任を果たす順番をつけるなら実行責任が先で説明責任が後。この順番を間違えると正しい意思決定ができなくなる。自分はちょっと油断するとすぐに説明責任を先に考えてしまいがちなので、雑に考えをまとめておく。


実行責任の第一歩は意思決定をすること。意思決定で一番大事なのは、意思決定者が「正しい」と思えることを打ち出すことである。結果として間違っていてもいい。むしろ正解にしていくことも実行責任に含まれるので、少なくとも意思決定者が「正しい」と思える決定を意思をもって掲げなければならない。

説明責任を先に考えてしまうと、正しいことが何かを考えることに時間を使わなくなる。「皆に気に入ってもらえるか」、「皆に受け入れられやすいか」という観点で考え、コミュニケーションプランを練ることに頭を使ってしまう。結果として、正しいことより前に妥協したことを打ち出してしまいがち。

実行責任を先に考えて、結果として落としどころを見つける "正しい妥協" はいい。説明責任を意識しすぎて、最初から合議で考えて顔色を伺うようなことをしていると "間違った妥協" になってしまう。

実行責任が先で、説明責任が後。メンバーと直接接するマネージャーは、ついつい説明責任を先に考えてしまいがち。何かを実行する時には、ある意味エゴイスティックに自分が「正しい」と思うことをまず考えるのが大事。その上で、メンバーが納得して同じ方向を向けるように説明責任を果たしていくのがいいと思う。

そういう答えがないことを決めるのが実行責任において一番むずかしいところだが、そこから目を背けて合議で決めようとしすぎてはいけない。それは説明責任を果たしているのではなく、実行責任から逃げていると言ってもいいかもしれない。


ちなみに "正しい妥協" と "間違った妥協" については、1967年のHBRに掲載されたドラッカーの 意思決定の秘訣 にも書かれている。自分は最近同僚氏に教えてもらって読んだ。半世紀前なのに普遍的な内容ですごい。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というが、自分は完全に愚者側やんけとチョット凹んでしまっていた。

けどこの言葉は「愚者は経験 (自分の失敗) から学び、賢者は歴史 (他人の失敗) から学ぶ」ということで、学習よりも自分の経験が先にくることを否定するものではないらしい。どっちが先でもいいので、本を読み人の話を聞き、たくさん疑似体験することを意識すればいいってことで頑張ろう。

ブログを書くときの"予防線"パターン

ブログなんて好き勝手に書けばいいと思うけれど、殺伐インターネッツを見ているとある程度"予防線"を張ることを意識しないといけないこともある。いろいろな考えの人が読むことを想定して文章の細かい表現をうまく工夫しつつも、短く簡潔にまとまった記事を見るとすごいなと思う。本筋とズレた指摘や意図しない突っ込みを減らすような"予防線"を適切に張れているのである。

そういったうまい記事を見ていると"予防線"にはいくつかのパターンがあるように感じるので、雑に命名してまとめてみる。パターン名はもっといいのがあると思う。

審判パターン ~ 注意書きを最初の方に書く ~

何か補足や注釈を入れたい時は、一番最初の段落の中に入れるべき。びっくりするくらい文章を読まない人はたくさんいる。タイトルだけしか読んでないみたいな人も多い。そんな中で、文章の途中や最後に注意書き入れてもマジで読んでもらえないので最初に書く方がいい。

表現としては、「念のために先に書いておくと〜」、「もちろん〜というわけではありません」、「補足しておくと〜」みたいな感じ。最初に書いておくことで、ちゃんと内容を読んでいない突っ込みを入れられた時もその人の解釈の問題と言えるし、「やることはやったしな」といった感じで気持ちの整理もできる。

先手自白パターン ~ 突っ込まれそうなことを自分から書く ~

インターネッツでは"馬鹿っぽい人"が叩かれる傾向にある。本当に馬鹿かどうかは関係なくて、馬鹿っぽいかどうかで判断される。たとえ色々考えた上で文章を書いたとしても、「考えが浅い」と思われたら突っ込まれるのだ。文章を書いている人は読んでいる人より10倍くらい物事を考えていると思うけれど、それを想像できずに文字面だけ読んで承認欲求に紐づく突っ込みを入れたがる人は意外と多い。 ref

これを予防するには、突っ込まれそうなことを自分から書いてしまうというやり方がある。表現としては、「もしかしたら〜と思われるかもしれませんね」、「自分も我ながら〜とは思ったんですが」、「ここはまだ突っ込みどころが多いかもしれませんが〜」みたいな感じ。記事の完成度に対する期待値コントロールといってもいいかもしれない。

裸の王様パターン ~ 突っ込みが自己批判につながるように書く ~

「毎日コードを書いている人はあえて書かなくてもわかることかもしれませんが〜」、「経験豊富な方ならなんとなく想像つくかもしれませんが〜」みたいな枕詞を入れておくと、そこに対して突っ込みをすると自分がそうじゃないと認めてしまうことになるという心理が働くのか変な指摘が減る。

もちろんこれはその後に続く文章がおかしくないことが前提なんだけれど、どうしても説明しづらい部分だったり育ってきた環境によって解釈がわかれそうな部分だったりすることもある。そういう時に使える小手先のテクニックと言える。ただし、突っ込み自体を過度に制限するのはよくないので多用しすぎないように注意。

巨人の肩パターン ~ 強い人が意見を言ってるリンクを貼る ~

仮に何か突っ込みどころがあったとしても、内容に関して著名な人がポジティブな意見を言っていると同調するような突っ込みが起きなくなるケースは多い。

たとえば新サービスの紹介記事を書く場合、「ありがたいことにユーザーのみなさまからもポジティブなフィードバックをいただいています」という感じの文章を入れた上で、Xで影響力のありそうな人が「これはいい」と言っているポストを3〜4個見繕って貼る。そうすると、その記事に対して否定的なコメントをする = ポジティブな意見を言っている人と反することになる、という意識が働くのか趣旨と関係のない指摘などが減る。第三者の論調を記事内に貼っておくことで全体の意見をある程度コントロールするイメージ。

非常にみみっちい話なようだが、世の記事を見ていると意外と効果があるように見える。ただし、これはやりすぎると多様な意見を拾いにくくなるし美学がないとも思うのでほどほどにした方がいいと思う。


ざっと思いつくのはこのくらいだろうか。読んでわかると思うが、あくまで小手先のテクニックである。内容を磨くことが一番大事なのは間違いない。その上で、公開する不安を軽減するテクニックとして役に立つかもしれないし、立たないかもしれない。

"雑にかく"というのは「こういう細かいことをあんまり気にしないで書くぞ」ということなのだが、パターンを書き出してみるとこれは 先手自白パターン なのかもしれない。自分がここのパターンっぽいことを書いてたら、オッやっとるなと生暖かい目で見守ってください。

あわせて読みたい。

konifar.hatenablog.com