Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

採用活動におけるモジュール化と公開

最近、制度やカルチャーをCompany Deckとして公開したり、Podcastやブログで現在の状況や社内の雰囲気を発信したりする会社がすごく増えた。

Company Deckでいうと、10XUbieAutify の資料はとてもよくまとまっていて素晴らしい。

こういった活動は、ソフトウェア開発においてモジュールを切り出してOSSとして公開するのと似ていると思う。

カジュアル面談や面接の中で何度も聞かれる質問を共通化して公開することで、都度説明するコストが下がり、直接話す場ではより深い話ができる。ライブラリを利用することで本来の実装に集中できるのと同じである。これは候補者にとっても企業にとってもよい体験となる。

また、公開前提で進めることで制度自体が自然とブラッシュアップされるという利点もある。例えば、給与レンジやグレードを考えるとわかりやすい。こういった分野は公開するのが難しい。ある程度の矛盾がなく納得感のある制度設計でなければ逆効果になりかねないからである。自前のツールをOSSとして公開する時、コードを見返して完成度が上がっていくのと似ている。個人的には、もっとライトに公開していく流れになるといいなと思うけれど、レピュテーションリスクもあるのでなかなか難しい。

エンジニアリングのメタファーで考えてみると、欲を言えばPull RequestやIssueが送れる形で公開してもらえるとさらにありがたいなと思ったりもする。色々な会社がこういった取り組みを公開してお互いにブラッシュアップしていくことで、採用におけるベストプラクティスが見えてきて候補者にとってもよい体験が提供できるとよいなと思う。

自分も過去に採用プロセスをまとめた採用面接ガイドなどを公開してきたけれど、先に挙げたCompany Deckの公開は何度かチャレンジしようとして未だにできていない。なので他の会社が公開しているモジュールをみると、素晴らしいなーと思う反面、嫉妬や焦燥に近い感覚を覚えたりもする。要するに「クソーかっこいいなー自分もやるぞ」という感覚である。採用活動において切り出せる部分はどんどん切り出して、実装プロセスも含めて公開していきたいものである。

成果が出ていても変化がないと飽きる

幸せについて本気出して考えていたら「組織の成果と幸福を高めるには信頼の文化が大事」という研究の話をGLOBISの動画で知ることになった。

発表者が言うには、コミュニケーションの中で信頼を生みやすい3つの質問があるとのこと。そのうちのひとつが「日々の仕事で学びや変化はありますか?」というもので、「人間は好成績を納めていても変化がないと飽きる」という言及があり、これはすごいわかるなーと思った。

成果を出しているとある程度は満たされていくが、それは必要条件であって十分ではない。成果を出しつつ、自分の経験やスキルの切り売りをしている感覚でこのままでいいのか悩んでいるという人も意外と多いと思う。成果が出ないと萎えてくるので成果を意識することは必要だが、同じくらい変化し続けることにも目を向けなければならない。

一方で、変化は疲れるから今のままでいいよという人もいると思う。そういう人はそのままで全く問題はない。周りから押し付けられる変化はたいていつらい。

ただ、自分から変化のきっかけを作るのもそれはそれで結構難しいというか、できる人は意外と少ない。僕がかつて小僧の頃通っていた学校の席替えや年間行事のように、ある程度の半強制的な変化を設計しておいた方がいいのだと思う。

たとえば部署を変えてみたりプロジェクトを変えてみたり、そういうことができる組織は変化を感じやすいのかもしれない。3ヶ月ごとくらいで環境を変えられるような組織の設計だと、「日々の仕事で学びや変化はありますか?」に対してYesと答えやすくなる気がする。

組織において最近変化ないなーと思ったら、自分の望む変化について同僚やパートナーに相談してみるといいかもしれない。自分に関して言うと、直近3ヶ月はマネージャーをやめてQAのいちメンバーとなり、あまりやったことのないキャッチアップを色々としたので変化はしている。成果が期待の30%くらいしか出せていないことにもちろん焦りはあるが、こういう変化の要望の相談を聞き入れ調整してくれた同僚には感謝をしている。

問題解決ブルドーザー

視座の可視化というこの記事がめちゃくちゃ好きで、たまに読み返している。

note.com

ここに書いてある、課題があった時のアクションのレベルみたいな話がわかる~~~って感じで好き。

具体的には何らかの課題があったときに下記のどのアクションをするか判断できそうです。
・ そもそも気づいていない
・ 認知してる(けど言語化できない)
・ 問題指摘する
・ 解決策を提示する
・ 解決する

自分の経験だと、「問題指摘する」と「解決策を提示する」の間に結構隔たりがあって、指摘したら物事が前に進むと感じている人が意外と多い気がする。

また、問題を指摘してるつもりで、実は問題を把握できてなかったり適切に指摘できてないケースも多い。例えばあまり理にかなっていないと感じる制度に対して「これなんでずっとこうなってるのか謎」「こう変えればいいのに」とコメントしたとして、これは問題の指摘と言えるだろうか。これは認知してるだけで、問題の指摘にはなっていないと自分は思う。

自分が物事をうまく動かせない憤りが、半ば愚痴のような指摘もどきとして表層に出ていると言ってもいい。自分もそうなりそうなことはあるが、たいてい物事を前に動かせないと思い込んでいるだけで、頭を使って人を巻き込めば自分がコントロール可能な状態にできることも多い。

自分が関わってきた中で、「解決する」の領域まで一気に持っていくめちゃくちゃすごい人が何人かいた。自分ができないと思っていたことや、問題の指摘、解決策の提示で止まっていたことを、ブルドーザーのようになぎ倒して解決していくのである。こういう人を、自分は「問題解決ブルドーザー」と呼んでいる。

自分が認知や問題指摘、解決策の提示で止まりそうになった時は、これまで見てきたブルドーザーのことを思い出すようにしている。自分も早く自他ともに認められるブルドーザーになりたいものである。

組織の透明性を高めるための情報を受け取る側のスタンス

組織の透明性を高めるためには発信側の工夫が不可欠だが、情報を受け取る側のスタンスも認識を揃えておいた方がよい。

自分の経験上、こういうスタンスでいるとよいんじゃないかという話をざっとまとめておく。

情報は常に100点ではないもの

  • オープンになった情報は常に完璧な状態というわけではないという姿勢でいた方がよい
  • たとえばSlackでシュッと投げ込まれたタスクや事業の方針に対して、背景がわからずモヤッとしたみたいな経験はあるかもしれない
    • 複雑な話ではこういうことが起きがちで、わからないことがあると人は不安になる
  • とはいえ、完璧を目指して情報が公開されるのが遅れたり公開されなくなったりするのはよくない
    • 情報を公開する側は、実は結構緊張していたりする
  • そのため、情報を受け取る立場としては、「情報は常に100点な状態ではなくむしろ100点に近づけていく部分も皆でやるんだ」くらいのスタンスでいた方がよい
    • もちろん発信側に対するフィードバックは適切に行うべきだが、そういうスタンスでいた方がお互いに楽

情報は自分から取りにいくもの

  • 情報はオープンにするだけで浸透するわけではない。各人の情報のキャッチアップが必要
    • もちろん浸透させるためにドキュメントやレポートライン、会議体、役割の設計は不可欠だが、前提として自分で取りに行く意識を持っておいた方がよい
  • 人に聞くでもSlackや社内ドキュメントを検索するでも、どんなやり方でもよい
  • 「取りにいけない」、あるいは「取りに行くのが大変」という場合に声をあげるのも自分の役割と思っておくとよい
    • 例えばSlackのチャネルが多すぎるとかKibelaのフォルダがカオスとか
    • このへんは組織の雰囲気や体制にもよるが、そういうスタンスでいた方が自分でコントロールできるので楽

なんでそんなことを受け取る側がやらなきゃいけねえんだ、発信する側がなんとかしろよという意見は当然あると思う。責務の多くは発信する側にある場合が多いけれど、実際にはお互いに歩み寄っていく方が気持ちが楽になるというか、建設的だと思う。発信側になった経験や、透明性を高めるための組織設計の経験があるかどうかで感じ方は違うかもしれない。

情報を渡す側も受け取る側も、お互いへのリスペクトを忘れずに。そして、次の曲が始まるのです。

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ブログ記事を書けない時のTips

何か文章を書こうとした時によく起きる2つの問題がある。「何を書けばいいのかわからない」と「どう書けばいいのかわからない」である。

自分は後者に陥ることがよくあって、結果めんどくさくなってお蔵入りしている話がたくさんある。「全く文章がまとまらない」とか「書いて意味があるのかわからなくなってきた」とか「冒頭の文章を推敲し続けてしまって進まない」とか、そういった状態である。

そういう時はたいてい色々書こうとしすぎなので、まずは内容を削ることを考えたほうがよい。あれもこれも入れて最高の文章に仕上げたくなるのもわかるが、読み手からすると長すぎる。感覚的には、筆ののらない記事は文量を3分の1くらいに削ってちょうどよいくらいな気がする。

削る方法は色々あるが、自分がよくやるやり方としては「構成を変える」と「内容を絞る」の2つがある。

例えば転職して1年経った話を書く場合、全部書こうとすると長くなりすぎて途中で挫折しがち。長い文章でだらだらさせずに最初から最後まで一貫性を持たせるのはかなり難しいし、書いてる途中で終わりが見えない気持ちになる。

そういう時は時系列で書くのをやめて印象的な出来事ベースで見出しにしてみたり、構成を変えるとスッと書けたりする。

あるいはいっそチームの取り組みやオンボーディングの話のみのように内容を絞るほうがいいかもしれない。物足りなく感じるかもしれないが、書いてみると意外とそうでもなかったりする。もしどうしても追加したければ後で入れてもよい。できたものに内容を追加するのは、ウンウン唸りながら書くよりもずっと楽だ。

文章自体を短くする方法として、PCではなくスマホで書くというのも自分には効く。入力が面倒なので自然と短くなるのだ。実際この話もスマホで書いてる。これは向き不向きがあるだろうけど。

まあ本当に書けなくてしんどくなった時の一番のTipsは諦めることである。そんなに悩むことはない。本当に書きたければまたいつか書けばよいのだ。ホッピーを飲んで一旦寝よう。

何かいいことを言ってやろうとしていないか

たまに「あー今自分をよく見せることを考えて発言しちゃってるな」と自覚して恥ずかしくなることがある。

例えばミーティング中、何かを前に進めることよりも皆にオッと思われるような内容を言うことに頭を使っているみたいな。そういう時はたいてい後で恥ずかしくなってウワアァァアァ!!!となる。

状況によっては、信用を得るためにそういう振る舞いが必要になることもある。「コイツできる...」と思わせることで物事をうまく進められることも多い。自分をよく見せるために何かをすること自体が悪いわけではない。問題なのは、その振る舞いが癖になって自覚できなくなっているケースである。

「何かいいことを言ってやろう」という気持ちが先行しすぎた状況と言えるかもしれない。誰かの意見に対して「自分はもっとこう考えてる」みたいな話をとにかく出そうとしたり。インターネッツ上だとさらに厄介である。

例えば、採用候補者が期待とそぐわない返答をした話を持論とともにツイートしてしまったり、同業他社のサービスの不備をスクショ取って笑いをとったり、本来やらなくてもいいことをやってしまったりする。過度な知ったかぶりや逆張りも、根っこはこういった虚栄心からくるものなのかもしれない。

「何かいいことを言ってやろう」と思ってないか、思ってるとしたら自分をよく見せる以外に何か意味があるのかを一度立ち止まって考える癖をつけるとよいのかもしれない。考えてみた結果、自覚した上で発言するならそれは別によいと思う。自分は後で恥ずかしくなることが多いのであまりやりたくはないけれど。嗚呼、今日もまたまたいいことを言ってしまった。さらば。

自分の勉強や開発をできなくなった

最近夜や休日に自分の勉強や開発をできなくなった。

夜や休日にそんなことせずに業務時間内でやるべきでしょという意見もあると思うが、自分の場合は以前は苦もなく自然とやれていた。それが今はできていない。

理由は明確で、自分が集中できていないからである。背景には育児家事の話はもちろんあるが、時間が取れていないわけではない。

息子は睡眠エリートで毎日2~3時間昼寝をするし夜20時半には寝ている。寝ている時間に何かをすればよいのだが、手が付かない。イメージとしては、1日のMPを使い果たしている感じ。こういう感覚は育児に関係なく経験していて、集中できなくなってしまう時期はあった。

なので「育児家事で時間が取れない」というのは正確ではなくて、「自分が集中できていない」というのが正しい気がする。これは自分の考えであって、家庭にもよるとは思う。家事育児の事情は本当に家庭によって全然違う。子どもが生まれたことでアウトプットの質が上がったという人もいるくらいだ。自分からすると超人のように思えるが、これも色々事情が違うので一概に比べることはできない。

30分や1時間で終わることをやっていくとか、まず10分やっていくとかそういうやり方しかないのはわかっているのだが、できない。17時に業務を終えて飯と風呂、寝かしつけを終えて20時半になる頃にはもう電池切れでデスクに向かえない。朝起きてやろうとしても4時から5時の1時間くらいしか時間が取れないし、息子の起床時間はコントロールできないのでリズムを作りにくい。

以前はできていたことができず、自分の自分に対する期待と齟齬が出るとつらくなってくる。これを何とかするには、自分の期待を自分とすり合わせるしかない。

結果、業務時間中になんとかするしかない、それ以外は基本何もしないと割り切ることにした。何もしないのがデフォルトで、できたらめちゃくちゃ偉い。そしてそのスタンスを同僚やパートナーにも共有しておくことで気分的に楽になる。

自分が集中できないのは仕方ない。今はそういう時期なのだ。息子と妻に向き合って一緒にキャッキャウフフして過ごしていく方が今はよさそう。