Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

組織の透明性を高めるための情報を受け取る側のスタンス

組織の透明性を高めるためには発信側の工夫が不可欠だが、情報を受け取る側のスタンスも認識を揃えておいた方がよい。

自分の経験上、こういうスタンスでいるとよいんじゃないかという話をざっとまとめておく。

情報は常に100点ではないもの

  • オープンになった情報は常に完璧な状態というわけではないという姿勢でいた方がよい
  • たとえばSlackでシュッと投げ込まれたタスクや事業の方針に対して、背景がわからずモヤッとしたみたいな経験はあるかもしれない
    • 複雑な話ではこういうことが起きがちで、わからないことがあると人は不安になる
  • とはいえ、完璧を目指して情報が公開されるのが遅れたり公開されなくなったりするのはよくない
    • 情報を公開する側は、実は結構緊張していたりする
  • そのため、情報を受け取る立場としては、「情報は常に100点な状態ではなくむしろ100点に近づけていく部分も皆でやるんだ」くらいのスタンスでいた方がよい
    • もちろん発信側に対するフィードバックは適切に行うべきだが、そういうスタンスでいた方がお互いに楽

情報は自分から取りにいくもの

  • 情報はオープンにするだけで浸透するわけではない。各人の情報のキャッチアップが必要
    • もちろん浸透させるためにドキュメントやレポートライン、会議体、役割の設計は不可欠だが、前提として自分で取りに行く意識を持っておいた方がよい
  • 人に聞くでもSlackや社内ドキュメントを検索するでも、どんなやり方でもよい
  • 「取りにいけない」、あるいは「取りに行くのが大変」という場合に声をあげるのも自分の役割と思っておくとよい
    • 例えばSlackのチャネルが多すぎるとかKibelaのフォルダがカオスとか
    • このへんは組織の雰囲気や体制にもよるが、そういうスタンスでいた方が自分でコントロールできるので楽

なんでそんなことを受け取る側がやらなきゃいけねえんだ、発信する側がなんとかしろよという意見は当然あると思う。責務の多くは発信する側にある場合が多いけれど、実際にはお互いに歩み寄っていく方が気持ちが楽になるというか、建設的だと思う。発信側になった経験や、透明性を高めるための組織設計の経験があるかどうかで感じ方は違うかもしれない。

情報を渡す側も受け取る側も、お互いへのリスペクトを忘れずに。そして、次の曲が始まるのです。

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ブログ記事を書けない時のTips

何か文章を書こうとした時によく起きる2つの問題がある。「何を書けばいいのかわからない」と「どう書けばいいのかわからない」である。

自分は後者に陥ることがよくあって、結果めんどくさくなってお蔵入りしている話がたくさんある。「全く文章がまとまらない」とか「書いて意味があるのかわからなくなってきた」とか「冒頭の文章を推敲し続けてしまって進まない」とか、そういった状態である。

そういう時はたいてい色々書こうとしすぎなので、まずは内容を削ることを考えたほうがよい。あれもこれも入れて最高の文章に仕上げたくなるのもわかるが、読み手からすると長すぎる。感覚的には、筆ののらない記事は文量を3分の1くらいに削ってちょうどよいくらいな気がする。

削る方法は色々あるが、自分がよくやるやり方としては「構成を変える」と「内容を絞る」の2つがある。

例えば転職して1年経った話を書く場合、全部書こうとすると長くなりすぎて途中で挫折しがち。長い文章でだらだらさせずに最初から最後まで一貫性を持たせるのはかなり難しいし、書いてる途中で終わりが見えない気持ちになる。

そういう時は時系列で書くのをやめて印象的な出来事ベースで見出しにしてみたり、構成を変えるとスッと書けたりする。

あるいはいっそチームの取り組みやオンボーディングの話のみのように内容を絞るほうがいいかもしれない。物足りなく感じるかもしれないが、書いてみると意外とそうでもなかったりする。もしどうしても追加したければ後で入れてもよい。できたものに内容を追加するのは、ウンウン唸りながら書くよりもずっと楽だ。

文章自体を短くする方法として、PCではなくスマホで書くというのも自分には効く。入力が面倒なので自然と短くなるのだ。実際この話もスマホで書いてる。これは向き不向きがあるだろうけど。

まあ本当に書けなくてしんどくなった時の一番のTipsは諦めることである。そんなに悩むことはない。本当に書きたければまたいつか書けばよいのだ。ホッピーを飲んで一旦寝よう。

何かいいことを言ってやろうとしていないか

たまに「あー今自分をよく見せることを考えて発言しちゃってるな」と自覚して恥ずかしくなることがある。

例えばミーティング中、何かを前に進めることよりも皆にオッと思われるような内容を言うことに頭を使っているみたいな。そういう時はたいてい後で恥ずかしくなってウワアァァアァ!!!となる。

状況によっては、信用を得るためにそういう振る舞いが必要になることもある。「コイツできる...」と思わせることで物事をうまく進められることも多い。自分をよく見せるために何かをすること自体が悪いわけではない。問題なのは、その振る舞いが癖になって自覚できなくなっているケースである。

「何かいいことを言ってやろう」という気持ちが先行しすぎた状況と言えるかもしれない。誰かの意見に対して「自分はもっとこう考えてる」みたいな話をとにかく出そうとしたり。インターネッツ上だとさらに厄介である。

例えば、採用候補者が期待とそぐわない返答をした話を持論とともにツイートしてしまったり、同業他社のサービスの不備をスクショ取って笑いをとったり、本来やらなくてもいいことをやってしまったりする。過度な知ったかぶりや逆張りも、根っこはこういった虚栄心からくるものなのかもしれない。

「何かいいことを言ってやろう」と思ってないか、思ってるとしたら自分をよく見せる以外に何か意味があるのかを一度立ち止まって考える癖をつけるとよいのかもしれない。考えてみた結果、自覚した上で発言するならそれは別によいと思う。自分は後で恥ずかしくなることが多いのであまりやりたくはないけれど。嗚呼、今日もまたまたいいことを言ってしまった。さらば。

自分の勉強や開発をできなくなった

最近夜や休日に自分の勉強や開発をできなくなった。

夜や休日にそんなことせずに業務時間内でやるべきでしょという意見もあると思うが、自分の場合は以前は苦もなく自然とやれていた。それが今はできていない。

理由は明確で、自分が集中できていないからである。背景には育児家事の話はもちろんあるが、時間が取れていないわけではない。

息子は睡眠エリートで毎日2~3時間昼寝をするし夜20時半には寝ている。寝ている時間に何かをすればよいのだが、手が付かない。イメージとしては、1日のMPを使い果たしている感じ。こういう感覚は育児に関係なく経験していて、集中できなくなってしまう時期はあった。

なので「育児家事で時間が取れない」というのは正確ではなくて、「自分が集中できていない」というのが正しい気がする。これは自分の考えであって、家庭にもよるとは思う。家事育児の事情は本当に家庭によって全然違う。子どもが生まれたことでアウトプットの質が上がったという人もいるくらいだ。自分からすると超人のように思えるが、これも色々事情が違うので一概に比べることはできない。

30分や1時間で終わることをやっていくとか、まず10分やっていくとかそういうやり方しかないのはわかっているのだが、できない。17時に業務を終えて飯と風呂、寝かしつけを終えて20時半になる頃にはもう電池切れでデスクに向かえない。朝起きてやろうとしても4時から5時の1時間くらいしか時間が取れないし、息子の起床時間はコントロールできないのでリズムを作りにくい。

以前はできていたことができず、自分の自分に対する期待と齟齬が出るとつらくなってくる。これを何とかするには、自分の期待を自分とすり合わせるしかない。

結果、業務時間中になんとかするしかない、それ以外は基本何もしないと割り切ることにした。何もしないのがデフォルトで、できたらめちゃくちゃ偉い。そしてそのスタンスを同僚やパートナーにも共有しておくことで気分的に楽になる。

自分が集中できないのは仕方ない。今はそういう時期なのだ。息子と妻に向き合って一緒にキャッキャウフフして過ごしていく方が今はよさそう。

抽象的な期待を自分ですり合わせるスキル

グレード評価制度において、上のグレードに行けば行くほど期待が抽象的になるよねという話を会社の同僚氏と話していた。

ICでもマネジメントでも影響を及ぼす範囲も広がり、できることも増える中で求められることも自然と多くなってくる。

そんな抽象的な期待を明確にする部分も求められているよねと同僚氏が言っていて、それはたしかにと思った。要するに、自分がどこで成果を出すべきかを自分で定義できるスキルが必要になってくるということである。

ジュニアとシニアみたいな分け方があるが、これはシニアに求められるスキルの一つかもしれない。何をやったらいいのかわからない中でもまわりを見渡して、必要なアクション (must)と自分のやりたいこと (will)とできること (can)をすり合わせて方向を決めるみたいな話である。

それはマネージャーの仕事だろと言われればその通りなんだけど、グレードが上がるとそういう抽象的な期待を自分ですり合わせるスキルも求められてくる。最終的にはマネージャーとすり合わせが必要だが、「自分はこれがしたい」「こうした方がいいと思う」「これはやりたくない」といった意見をたたき台として用意しておくとよい。自分のこれまでの経験だと、優秀な人はこのへんをうまく提案していっているような気がする。主導権を握っているみたいなイメージである。

これを丸投げと捉えられるか委譲と捉えられるかはコミュニケーション次第かもしれない。グレード評価制度において期待値を明確にしておく必要はもちろんあるが、グレードが上がるとある程度抽象的な表現になってしまうのでその部分を具体化するのは自分自身の責務だと思っておいた方がいい。

組織のグレード評価だけの話ではなく、こういうスキルは取引先とのやり取りでも結構重要なのではないかと思う。自分がどう動けばいいかわからない時に自分でリードして決めていける人はすごくよいなあと思った。

本人と直接話す方がよい

何かを伝えたり聞いたりする時には本人と直接話す方がよい。当たり前っちゃ当たり前なのだが、意外とうまくできていないことも多いので最近特に強く意識するようにしている。

「どうなってるか分からなくてモヤモヤする」とか「あの発言や行動ってどういう意図なんだろう」とか、内に籠もって想像だけしているとロクなことがない。直接本人と話してみると実は何の問題もなかったなんてこともある。

ただ、直接話すのは簡単なようで難しい。話す側は感情のコントロールと言語化のスキルが要求される。聞く側のスタンスも重要で、これは話す側はコントロールできない領域なのでより難易度が上がる。話す側聞く側どちらかに負荷が偏ると相手のコミュニケーション能力のせいにして余計にめんどくさいことになってしまう。組織においては、直接話して物事を解決すること自体を推奨するといった工夫が必要かもしれない。また、ある程度はスキルトレーニングもあった方がよい。

直接話せばよいことに人を介すとノイズが増えて正確じゃなくなる。時には仲介が必要なこともあるが、基本的には当事者同士で話す方がよい。

自分が何かしら相談を受けた時、「ちょっと伝えてみますね」「それとなく聞いてみます」といった感じで第三者としてボールを持ってしまうことがあった。これは今はやらないようにしていて、基本的には「できれば直接話すのがいいと思う」「直接話しにくい理由があれば解消のためにサポートはする」といった形で接して本人同士で進めてもらうように意識をしている。

まあ本人と直接話せるような関係を作っておくのが一番難しいという話ではあるのだけれど、そういう関係を作るには直接話す方がよいというニワトリタマゴのような話である。

タスクが終わったらleaveするSlackチャネル

社内アンケートや読んでおいてほしいマニュアルなどがある時、『タスクが終わったらleaveするSlackチャネル』を作って必要な人を全員入れておくと楽。同じようなことをやってる会社も多いんじゃないかと思う。

自分が所属している会社のSlackチャネル命名規則では、こういった一時的な用途で使うチャネルには tmp- prefixをつけるようにしている。

どのくらいの人が終わったかをチャネル内の人数で把握できるし、リマインドも @here メンションでできる。チャネルを切り出しているので、Zapierなどでリマインドを自動化するのも楽。

やる側としても tmp チャネルにずっと入っているのは嫌なので早めにやるモチベーションになる。

やったことがないと「うざったいんじゃないの?」と思われるかもしれないが、関係なかったらすぐleaveすればよいし、関係あったら終わらせてleaveすればよいだけなので実際にはそんなに気にならない。

労務関連などちょっと手間がかかるけれど期日までに確実にやってもらわなければいけない作業には特によいと思う。いろんな人を巻き込まないといけない場合にも向いている。