Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

「ちゃんと」という言葉が与える印象

今日も今日とてインターネッツは怒りに満ちている。

chantoという働く女性向け雑誌の中吊りを見て、不快感を感じる人がいたようである。

個人的には「ちゃんと」という言葉には何も感じなかったので怖いなーと思った。無意識のうちに誰かを傷つけてしまうのってつらいよね。

気になったので「ちゃんと」という言葉の意味を調べてみると、こう書いてあった。

  1. 《副・ス自》すべきことをきちんと行うさま。「仕事を―する」。規準にかなって整っているさま。 「ゆがめず―並べた」
  2. 《副》ぬかりなく。まさしく。 「―知ってるぞ」

どうやら言葉自体にはそんなに悪い意味はなさそうだ。

ではなぜこの言葉に不快感を覚える人がいるかというと、「ちゃんと」のあとに続く言葉にいい思い出がないのだろう。

「もっとちゃんとやれよ」「◯◯くんはちゃんとできてるのに」「ちゃんとしなさい」のように、「ちゃんと」のあとに続くのは厳しい指摘が多いのかもしれない。

いやーこういうのは育ってきた環境によるから難しいよね。雑誌の企画者の神経を疑うみたいなコメントあるけどさ、もしかしたら企画者の方は「ちゃんとできたね!」みたいなポジティブに褒められる環境で育ってきたのかもしれないじゃん。だとしたら悪気0%だよね。

働く女性は家事も子育ても本当に大変だと思う。そんな時には「時短できない家事はない。(あなたももっとchantoやろうね)」というふうに読んでしまうのは仕方ないことだ。

大事なのは、同じ言葉でも受け取る人の経験やその時の精神状態によってだいぶ印象が変わってしまうということを心に留めておくことだ。これは想像力と思いやりの問題だ。

想像力の話でいえばさ、この雑誌の企画をした人も企画から校正まで色々大変だったと思うよ。それにこの雑誌のターゲット層ってたぶんこういう言葉自体ではなく実際のノウハウに集中したい人なんじゃないかな。たしかに言葉のチョイスはあんまりよくなかったのかもしれないけど、実際の記事内容がクソかどうかを判断しないかぎりあんまり感情的にディスるのもよくないよなと思った。