Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

新人の正論を取り込む準備と心構え

最近新しく人が入ってきて、今まで手がつけられていなかった部分に対する正論をストレートにぶつけてきてくれて思わずにやけてしまった。

そう、新しい人には感じたことをそのまま言ってほしい。まだ自分が成果を出せるかわからないタイミングで正直に思ったことをぶつけるのはすごく勇気がいることだとは思うけれど、新しい旋風を巻き起こしてくれた方が嬉しいし、それをうまく取り込むのは既存メンバーの役割だと思っている。

正論をうまく取り込むには準備と心構えが必要だと思っていて、それをざっとまとめてみる。

  • 社内ブログやSlackチャネル、定例など意見を言いやすい場所を用意しておく
  • 感じたことは率直に言ってほしいと期待している役割などを伝えておく
  • 口だけみたいになるのでは、という不安はいったん気にしなくていいと伝えておく
  • 個人ではなく仕組みに対してという伝え方を意識してほしいと伝えておく
  • 言ってくれたら、まず素直に感謝を伝える
  • いろんな事情はあったとしても、なぜできないかの理由を先に説明して出鼻をくじかない
  • すぐに変えられるものはすぐにアクションを起こして勢いを殺さない
  • ちょうどよい規模の提案があれば、過去の経緯も伝えた上で実行までお任せしてみる
  • 敬意がなさすぎる、個人を責めがち、といった問題があれば、伝え方に関してすぐにフィードバックする
  • 既存メンバーに対しても、これらの心構えを伝えておく
  • 正論を受け入れられる心の余裕を持てるように調整しておく(これが一番難しい)

もちろんメンバーやチームの規模、相手の性格によっても色々変わるとは思うし、正論に対する事情もたくさんあると思う。

阿良々木くんの「正論は人を傷つける、いつだって」という台詞を念頭においた上で、ギルガメッシュのようにすべてを飲み込んでいける技量を持って明日をもっとよくしていきたい。

モブオプスなかなかよかった

最近opsチームに入って、まずは業務を知ることにした。

ドメイン知識とツールの習熟が必要な業務がまあまあ多くてキャッチアップに時間がかかりそうだったので、モブプロ*1ならぬモブオプスをやってみたらどうかと思い実行してみたところ、なかなかよかったのでざっと記録に残しておこうと思う。

やったこと

  • モブプロの説明をする
  • 入社したばかりでキャッチアップ中の人がドライバーとなってops業務を行う
  • ベテランの人は助言や補足をする
  • 自分(開発・ops初心者)はわからないところを聞く
  • 業務の1つが終わる、または1時間経ったら終了

よかったこと

  • opsの業務に対してツールが追いついておらずマジで工夫して何とかしてくれてるのだなということがよく理解できた
  • ツールを改善するにあたり、業務を効率よくキャッチアップできた
  • メモとして書いていったものがそのまま手順書にできそう
  • ドライバーも知識の確認になってよかったと言っていた
  • わからないときにナビゲーターがすぐに説明してくれたことで効率よく進められた
  • 話しながらやるので自然とコミュニケーションもいい感じになった

改善したいこと

  • そもそももう少しマニュアル化しておきたい
  • 初回なのでやはり時間がかかった
  • ドライバーをローテーションできたらもっとよかった

総じてよかった。これをあと2回ほどやってキャッチアップできたら、協力して効率化して仕事をなくしていきたい。

*1:モブプロとは、複数人で1つの画面を見ながら開発していく手法。一人でやるより時間がかかるのではないかと思われるかもしれないが、うまくやればレビューの時間がなくなったり知識が偏らなくなったり、便利な機能やよりよい書き方を教えてもらえたり、長い目で見るとむしろ時間が短縮されるという利点がある

想像力の欠如と美学の相違

インターネッツ上ですごいつよい言葉を使う人がいる。

そんな言い方しなくてもいいじゃんかと思うことも多い。お母さんの前でも同じこと言えるのかと思ってしまう。

そういう言葉を言ってしまう人とそうでない人の違いは、想像力と美学の2つだと思っている。

相手がどう思うかとか、自分が間違っている可能性とか、そういう想像力の欠如からくるのが1つ。もう1つは、そのあたりの想像はできても言ってしまうケースだ。

要は、何をかっこいいと思うか、面白いと思うかといった感覚の違いだろう。美学といってもいい。根本から違うのだ。

個人的には、22歳を超えてからは想像力や美学が大きく変わることはないと思っている。自分の子どもはそうならないように育てていきたい。

やりたい人だけやればいいクラウドファンディング

昨今のインターネッツには無数のクラウドファンディングがひしめいている。

こんなことを言ったら怒られてしまいそうだが、「それくらいなら自分で2ヶ月バイトすればいいのでは...?」と思ってしまうものもわりとある。特に、自分の夢を実現するためにお金が必要という話だと、なんでその金額でクラウドファンディングなんだろうと思ってしまうのだ。

これは自分の考えが古いのかもしれない。とりわけ10代20代にとって2ヶ月という時間は何物にも変えがたく、今すぐ実現できるのであればできた方がいいのだ。金銭の支援をしたい人がいるのならwin-winでしかないし、クラウドファンディングはその理想を可能にする素晴らしい仕組みなのだ。

ここで重要なのは、クラウドファンディングというのは"支援する人"がいなければ成り立たないという点だ。どんなに納得できない内容だろうが、読んでいてイライラしようが、支援する人が一定数いなければ成立しない。何に価値を感じて何にお金を払うか、価値観が近い人が自由にやりとりするだけで、その他の人に迷惑をかけるものではないのだ*1。つまり"やりたい人だけやればいい"という話だ。実際に、批判に対して「嫌なら何もしなければいいだけ」という人もいる。

言いたいことはわからなくはないが、この"やりたい人だけやればいい"という主張は自分はあんまり好きではない。そう、これはもはや好みや美学の話であって正解・不正解の話ではない。ちなみに誤解のないように言っておくと、クラウドファンディング自体は素晴らしい仕組みだと思っているし、それのおかげで本当に救われた人もいるのを知っている。あくまで、なぜクラウドファンディングなのかという理由を深掘りしていった時の"やりたい人だけやればいい"という意見に対してはそんなに納得できていないという話である。

なんで好きじゃないのかと考えてみると、他の集団に対して排他的になりがちだからかもしれない。自分に賛同してくれる人達の集団の中で生きるのはとても楽なんだけど、そういう中にいるとどうしても視野が狭まってくる気がするんだよな。「他の集団から見たらどう思うかな?」みたいな想像をしなくなって、気づかないうちに思考が浅くなったり攻撃的な口調になったりしがちではないかと思う。

クラウドファンディングに限らず、限定されたコミュニティに所属しているとどうしても常識がその世界の中に閉じていくような気がする。色んな価値観の人と触れ合って受け入れていかないと、そのうち内輪のノリが暴走しそうで怖いなと感じているのかもしれない。ちょっと話が飛躍してしまうが、宗教に執心している集団が怖いのと感覚は似ている。

評価経済社会において、この考え自体が古いと言われるかもしれない。うーん、そう言われるとそうかなーとも思うんだけど、"やりたい人だけやればいい"という考え自体が他者への想像力が欠如しそうでやはりちょっと怖いんだよね。

ほんの一面しか見てないのに発言するなみたいなこと言われそうでビビってきた。気分を悪くしたらごめんよ。もし嫌だったら読んで怒る前に無視してくれ。読みたい人だけ読めばいいのかもしれないしね。

*1:なんだかムカつくという感情の話は除く

歯に衣着せぬ発言と美学について

雑に考えをまとめておきたい。雑すぎて気分を悪くしたらすまない。自分が「雑に書く」というときは別に深く考えていないわけではなく、「色んな印象で捉えられるのをできるかぎり想定して文章を練る手間を省くよ」という意味なので、ちょっとムッとしたとしても受け流してもらえると嬉しい。

職場でもどこでもあることだと思うんだけど、歯に衣着せぬ発言をあえてする人っているよね。例を出すのは難しいけど、「もうちょい言い方考えようよ」と思わせる言い方で人をイラつかせるというか。自分はわりと気が長い方なのでオイオイと思うだけでそんなにイライラすることはないんだけど、当然イラっとする人もいて、そういう時に空気が悪くなるのはつらい。

チームで何かするのに向いていない人だと言ってしまえばそれまでなんだけれど、そういう人は2種類のタイプに分かれるんじゃないかと感じている。自分の発言が空気を凍らせていることに気づいていない人と、気づいているけどあえてやっている人の2種類だ。

前者に関してはもうどうしようもない。先天的なものもあるのだろう。まわりの人間に恵まれることを祈るばかりである。

もう少し深掘りして考えたいのは後者についてだ。すなわち、あえて歯に衣着せぬ発言をしている人である。色んな状況があるだろうけど、ここでの話は会議でそもそも論をするみたいなレベルの話ではない。上司が部下に何かを気づかせるために厳しい発言をするのとも違う。もっと根本にある、人への"思いやり"みたいな話だ。嗚呼、自分で書いてきて悲しくなってきた。会社は学校じゃねえんだよレベルの話だが、そういう人はよくいるので仕方ない。

自分の感覚だが、何か物事を前に進めるためにリードする役割を担ったことがある人は、話がこじれそうな言い方をしない。思いやりとかそういう話というよりも、ちょっとした物の言い方の違いによって物事が進みにくくなるケースがあることを実体験から知っているからだと思う。こういう立ち振る舞いの微妙な調整というのは、きっと一度経験しないとできないものなのだろう。

なぜそんなめんどくさい言い方をしてしまう人がいるのかなーとたまに考えていたのだけど、結局今でもよくわかっていない。今のところ「そういう発言をするのがかっこいい」という発想が根っこにあるんじゃないかと考えている。数多く存在する中二病の一つといってもいいかもしれない。

どういう行動をするのがカッコいいかという感覚は、それ自体がその人の美学であると思う。そしてこれは持論だが、その感覚は22歳を越えるとなかなか変えられないと思っている*1。つまりそういうことだ。

雑すぎて心配になってきた。けどいいよね、ZATSUブログだもん。じゃあの。

*1:ちなみにこの持論は、るろうに剣心の高荷恵の「バカねェ。齢二十二に なるともう性格の矯正なんて出来ないわよ(クス…)」という台詞に大きな影響を受けている

優しさからくる過激な発言こわい

今日もインターネッツは怒りに満ちている。

この記事を読んで感じたことを雑にまとめておきたい。

type.jp

内容はすごく共感して、そうだよねーと思いながら読んだ。けどまず最初に感じたのは「この人口調きついなーいつも怒ってそうでこわいなー」ということだ。そっちの印象の方がつよい。

すぐ怒る人が嫌いなわけじゃなくて、むしろ感情をあらわにする人は好きなんだけど、なんなんだろうな。なんかこういう、本来自分以外の誰かへの思いやりからくる意見をあんまり優しくない過激な言葉で語られると「なんか根っこの部分で矛盾してない?」って思ってしまうんだよな。

この記事のケースだと「子育ては大変なんだぞ。考え古すぎだろ」という子育て中の女性や男性に向けた思いやりからちょっと強い口調になってきているわけで、根っこにあるのは想像力と他者への思いやりなんだよね。子育て中に人たちに対しては思いやり持てるのに、なんで別の立場の人には簡単に「バカ」とか言えちゃうのかなーと思っちゃうんだよな。本当に想像力と思いやりからくる意見なら、他の人にもいったん落ち着いて思いやりもつべきじゃない?直情的だとしても、いったん冷静になって言葉を選んだ結果だとしても、どちらにしろ嫌だなって思った。

ハンターハンターを例にすると、ノブナガとの腕相撲中にゴンがキレた時の心情に近い。

「仲間のために泣けるんだね。血も涙もない連中だと思っていた。だったらなんでその気持ちを少し…ほんの少しでいいからお前らが殺した人たちに、何で分けてやれなかったんだ!!」

うん、わかりづらいね。何でもない。

つよい言葉じゃないと伝わらないとかいう意見もあると思うんだけど、本当にそうなのかな。少なくとも自分は言葉を丁寧に選んで自分の意見を伝えられる人の方が胸を打つと思う。

まあこの記事は編集でちょっと強めにアレンジされてしまったのかもしれないけど、どうもこういう子育て系とかって過激派が多い気がしてこわい。優しさからくる思いを過激な表現で主張する前に、その優しさが一方の誰かに偏ってないか考えてほしくなる。これは自分も注意しないといけないところだ。偏った優しさは視野を狭めるし厄介なので、常に自分の行動が矛盾していないかは細かいところまで確認するようにしないとなと思った。

誰かを応援するときの余計な言葉について

たまにさ、ちょろっと罵倒した上で「けど俺はお前を応援してるから言ってるんだ」みたいなこと言う人いるよね。あんまりよくないスポーツの監督とか。あれ言われる立場としては何も響かないし何なら嫌な感情のほうが強く残るのでマジでやめたほうがいい。

「こんなことも考えてないの頭大丈夫か?」っていうのと「こういうことも考えてくれると嬉しい」っていうのは全く別だからな。この場合、「頭大丈夫か?」は余計な一言であって応援でも何でもない。更に言うなら、前半も別に応援ではない。本当に応援するのならただ自分の言葉で厳しい意見を投げつけるのではなく、相手が受け取りやすい言葉を選ぶところも考えるべきだと思う。

相手が受け取りやすいかどうかなんて相手を知らないとわからないよね。だからこそ想像力が大事で、どんな相手でもすっと受け取れる言葉を選ぶべきだ。本当に相手を応援したいのなら、余計な言葉は入れないほうがいい。じゃなきゃ応援以外の部分の印象が強くなって批判と捉えられる。そこを気をつけるのがめんどくさいのなら、たぶん実際には応援したいわけではないってことなんだろうね。