Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

説明の重要性

これを読んで思ったことを雑にまとめたい。

sugiyamamikito.com

正直誰が悪いわけでもなく、応募者は自分の意思で応募するわけで、そのへんに関してはあまり意見がない。

自分が思ったのは、状況を相手にわかるように伝えることの重要性についてだ。要するにこの記述。

そもそもの前提を無視されては議論にならないわけです。 予算はつかないの! その中で、なにもしないのか、なにかを模索するのかの話をしていたのです。

言いたいことはわかる。たぶんそうなんだろう。近くにいたら、「いやぁ辛いですよね。けど何かやっていきましょう!」みたいな気持ちになるのかもしれない。ただ、自分はこの人を知らないし状況もわからない。ざっくり言うと説明不足に感じてしまう。

説明不足な文章を読んだ時、多くの人は自分の経験に照らし合わせて補完する。つまり「予算つくように動くのが筋じゃないの?」「俺だって普段そういう状況で何とか仕事してるのにアンタは」みたいな感情を含ませて読みがちなのだ。まぁ当然の発想だ。

今回の燃え上がりは「予算はつかない」という部分の説明を怠ったことに起因していると思う。まぁ他にもなんとなくイライラするみたいな理由もあるだろうけどさ。たぶん議員の人というのは、自分が想像しているよりずっとたくさんの仕事を抱えていて、しがらみも多くて、本当に無理なものは無理な環境なんだと思う。

けれど、そういう状況も含めて問題解決に動いてくれるという期待もされているわけで、「無理なものは無理」という部分を話す時にはもう少し注意した方がいい気がする。「予算はつかないの!」という言葉は、たとえそれが本当だとしても思考放棄と捉えられてしまう可能性がある。

説明責任というと大げさだし、忙しい人にそこまで強いるのは酷なことだと思うけれど、ブログやSNSを駆使するなら説明の重要性をもう少し認識しておく方がいい。ブログなんだから好きなことを書けばいいじゃんという意見もあるが、少なくとも自分の意見を正しく広めたいなら、伝え方を工夫するべきだ。

論点が「何もできない状況でも何かするべきか/しないべきか」だというのなら「本当に何もできない状況なのか?」という疑問に対する認識合わせをした方がいいよね、というよくあるコミュニケーションの話なので、あとは「いちいち時間かけてそんなめんどくせえことしてられるかよ」という気持ちとの戦いだと思う。個人的にはこういう説明の重要性は高いと思っているので、ブログやSNSを活用したいなら多少コスト払っても改善していった方がいいんじゃないかなぁと思うが、それもやはり相手の状況がわからない今の自分には判断がつかないのだ。

夫婦円満の秘訣

夫婦円満の秘訣を色んな人に聞かれる。先日嫁氏の友だちが家に遊びに来た時にも聞かれた。

どうやら周りから見ると円満に見えるらしいが、わりとよく怒られるし怒りもする。そもそも会話がある時点で仲がいいという話なのかもしれない。

秘訣と言われると何も意識していないのでうまく答えられず、「思いやりですかね」というクソの役にも立たない返答しか出てこないことが多かったのだが、先日嫁氏と散歩しながら話をして一つ気がついたことがあった。それは、円満の秘訣は夫婦の関係以外のストレスをいかに減らすかにかかっているのではないかということだ。

基本的に嫁氏と趣味や好みが似ているのも多分に関係しているが、そうは言ってもどこかに歩み寄らなければならない部分が出てくる。中には完全に何も不満なくて常にお互いが最高リスペクトみたいな人たちもいるかもしれないが。

その歩み寄ろうとする時のストレスがひずみになる。おそらく質問してくる人はこのへんに不安があるのだと思う。すなわち、「なんで俺がこんなに我慢しなくちゃいけねえんだ?」とか「なんか窮屈だしうざったいな」といった負の感情だ。一つ一つは小さいひずみでも、積み重なると憎しみに変わる。

最低限我慢が許容できる範囲かどうかが鍵になるんだろうけれど、まぁそこは何とかやってほしい。自分の場合はそんなに我慢するようなことはないが、たまにむっとすることはある。そういう時はだいたい自分の余裕がない。余裕がある時は笑い飛ばせるようなことでも、余裕がない時にはイライラしてしまうことは、誰しも少しは経験があると思う。夫婦生活に限った話ではない。

夫婦円満の秘訣みたいなのは特に意識したことはないが、しいて言えば夫婦生活以外の部分で余裕を保つことかもしれない。仕事、プライベートで追い詰められた感情が家で放出されてしまうのはよくない。身も蓋もないことを言えば、夫婦関係なんてもう運みたいなものだと思っていて、それ以外の自分がコントロールできる部分で工夫した方がいいのではないかと思う。自分の場合はそれが仕事や執筆や登壇のバランスになる。最近はちょっと余裕がなくて家でも迷惑をかけたので、KPTでもして改善しようと思う。

ちなみに、こんなことを言いつつ自分もそんなにうまく余裕を保てているわけではない。嫌なことがあった時は嫁氏に話していて、もしかしたらそのおかげで最低限の余裕を保てているのかもしれない。このあたりのやり方は人によるので、よしなにやるしかないのだろう。

カンファレンスアプリを作るということ

DroidKaigiの全てに感謝を。お疲れ様でした。

さて、DroidKaigi2016と2017で2年連続でDroidKaigiのカンファレンスアプリを作ったわけなんだけれども、じゃあ次はどうするのかみたいな話をざっと書いておこうと思う。このブログではいつも雑に思ってることをまとめるのでもちろん考えが変わることもあるし、半ば妄想みたいなもんだと思っておいてほしい。

今年もすごいたくさんの人にコントリビュートしていただいて、2ヶ月弱でPRも300を超えた。もう感謝しかないという気持ちで、毎日楽しくレビューしてはマージしていた。DroidKaigi中何人かに「なんで3時に出したPRレビューできるんですか?」「いつ仕事してるんですか?」みたいなことを聞かれたが、たぶん誤解をしているので余談になるがここに書いておきたい。

まず、PR300件と言うとすごそうだがその粒度やレビューの厳密さは仕事のそれとは全く異なる。小さいPRが多かったし、10秒見て"Cool!!“、"Awesome!!” とかコメントしてマージできることも多かった。10秒で終わるならPRが届いた瞬間に処理した方が相手にとっても自分にとっても嬉しいのでそうしていたというだけで、自分はすごいことは何もしていない。3時くらいにPRレビューしていたのは、ちょうどその頃仕事が忙しくて朝まで家で作業していて、休憩がてらPRも見ていたというだけである。

コントリビューターの方に話を聞くと、1日に30件PRが飛び交居続けるあの前夜祭のような雰囲気が最高で、来年もやりたいという話だった。また、Androidは1年で技術やライブラリが色々と更新されていくので、その年の知見が集まるリポジトリは見てて勉強になるという意見ももらった。率直に言って、そう言ってもらえてとても嬉しかった。

何が言いたいかというと、DroidKaigiにおいてカンファレンスアプリを作るということは単にカンファレンスアプリが欲しいという要望に応えるだけのものではないっぽいということだ。だからこそ、来年どうしようか少し迷っている。

正直に言えば、来年同じようなことはもうやりたくないなぁと思っていて、やるならカンファレンスアプリ自体を抽象化してライブラリなり雛形なりにするかなぁと思っていた。

カンファレンスアプリというのは実装上そんなに難しいものではない。どんな機能が必要かも様々なカンファレンスアプリを見て2回作ってある程度固定化されているなと感じている。面倒なのはセッション一覧のViewをどう最適化するかという点だけかもしれない。カンファレンスの規模に応じて最適なUIは変わるはずなので、そこをどうスイッチさせるかというあたり。と言ってもこれもそんなに複雑なものではなくて、3種類くらいUIを用意しておいて、総セッション数、部屋数、日数、同時並行セッション数あたりの情報を元に最適なUIを勝手に当てはめるようにすればいいだけだと思う。個人的にはこのへんは設定にはしたくない部分だ。

こんな感じのことは前から考えていて、いろんなカンファレンスのスタンダードになるものを作っておく方がCoolだし、カンファレンス運営の観点で言えばもちろん効率がいい。来年は設定ファイルの変更だけでやるで!と考えていた。

ただ、先程書いたようにDroidKaigiにおいてはカンファレンスアプリを作る目的は単に作って使うというだけではなく、その過程を楽しむという人もいるので悩ましいところだ。もちろん自分も楽しかったし勉強になった。今年のリポジトリは去年よりずっと色んなやりとりがあったし、全く同じ作業を繰り返しているわけではない。

まぁカンファレンスアプリを作るということだけを考えると、抽象化すべきだと思う。で、抽象化するならAndroidだけ考えるのは間違っていて、iOSやWebなども含めてやっていった方がいい。ということで、自分は今日からReactNativeをやっていく。

それとは別に、カンファレンスアプリを作るという祭りをみんなで楽しむという観点においては、過去2回やったやり方はわりとうまくいっていたのではないかと思う。ということで、DroidKaigi2018でもカンファレンスアプリをまた作っていきたい。来年自分がやるかはわからないけれど。もしも自分がやるなら、たぶん次はkotlin。

どこまで明確にしてから始めるか

何も整理できてない話をがっと書く。

仕様や運用が100%近く固まってから開発に入れれば最高だが、現実はそうもいかない。いや、やり方によっては不可能ではないと思うが、所与の条件によって多くの場合は不確実な面を残して走り出すことがある。要は妥協だ。

チームで仕事をする場合、どこまで不確実を許容するかというあたりで揉めることもある。ここは育ってきた環境や性格によるところが多いので仕方がない。自分の感覚では、今まで不確実でどれだけ苦労してきたかという涙ぐましい経験によって、その不確実性の許容の幅は異なるのではないかと思う。雑にいうと、「今ちゃんと決めないと後でどんでん返しで苦労して血反吐吐くことになんぞ?!」という感情に左右されるのかもしれない。

その不確実性を実行前に潰すのは時間がかかりがちだ。我々の時間は有限なので、どこかで妥協が必要になる。きっちり決めなくてもまぁ問題ないだろうし、問題あったらサッと話してシュッと方向転換すればええやろという場合もある。逆に、決めておかないと後々本当に面倒くさいことになることもある。このへんの勘もまた、人によって異なるので面倒なところだ。

人によっては、そこまで大きな問題にならないようなことでも固めてから始めないと気がすまないということもある。気持ちはわかる。わかるんだが、そこは臨機応変でええやんと感じることもある。一言で言えば面倒だなぁと思って萎えてしまう。

自分も結構先のことを不安に思って色々明確にしたくなるのだが、その時は言い方や聞き方に気をつかうようにしている。そして一番重要なのは、代替案を提示して自分でやってしまうことを意識している。代替案なき意見は相手のやっていく気持ちを萎えさせてしまいがちだし、代替案を自分で進める気がないのであれば強い意見ではないと判断して相手に任せるようにしている。

と言いつつ、最近めんどくさいという理由で何も言わないことが増えてきた気がしているので気をつけたい。

成果が見えるように工夫しないとどうでもいいところで突っ込まれる

疲れた。今日はなんだか疲れた。疲れたので適当に思ったことを吐き出したい。

なんだか含みのあるタイトルだけど、自分の仕事やプライベートの不満とかそういうのじゃない。最近小さいことにワーワー言う人多いなと思っていて、ただ言いたくなる気持ちも何となくわかる気がして、そのへんの話をしたい。例えば、首相が漢字読めなかったとか、偉い人が不倫したとか、国会中にスマホいじったとか。ハッキリ言ってどうでもいい。どうでもよすぎる。どうでもいいことに夢中になってしまうのは、どうでもよくないニュースがないからだ。すなわち、本来彼らが出すべき成果が成果として自分たちの耳に届いていない、あるいは報道されていないのだ。

正直さ、やることをバッチリやってくれてればどうでもいいよね。ちょっと漢字読めなくてもバンバン政策推し進めてくれてたら、愛嬌愛嬌!とか言って受け入れちゃう気がする。「どんな仕事してどんな成果出してるかもよくわからないのに漢字も読めないの…?え…大丈夫…?」って感情が先に来ちゃってるだけなワケ。

人間なんだからさ、何かに特化してスキルを振ったらどこかが欠けるよそりゃ。ただ特化してるところに集中して、その成果をちゃんとパンピーにもわかるように伝えてくれればいいのだよ。それは説明責任と言ってもいい。そのへんをちゃんとやらないから、どうでもいいところで突っ込まれる。飽きずに突っ込む仕事もどうかと思うけど、まぁ今のところ突っ込まれる側の工夫不足だと思う。まぁたしかに説明難しいところはあるだろうけどさ。

これって別に政治家に限ったことじゃなくて、仕事でも何でもそう。自分が本来出すべきところで成果を出して、それを見えるようにしといた方がいい。これは別に特別な話じゃなくて、成果を出してる人は自然とそうしていることが多いと思う。成果をしっかり出さないと、リモートの細かい規則とか低いレベルの話がどんどん出てきてしまう。本来どうでもいいところで突っ込まれたくなかったら、自分たちも同じように成果を出して見せていかないといけない。

ちなみにこれはただの落書きであって何の成果にもつながらない駄文だ。そろそろ仕事に戻る。さらば。

やることが多いのかやらなくていいことをやってるのか

雑に考えをメモしておくのでツッコミどころは適当に流してほしい。

やることが多いと感じる時、本当にそうなのかと考えるのが重要。自分がやるべきことと勘違いしてるだけで、落ち着いて整理して考えてみると実はやらなくていいことかもしれない。

自分が成果を出すべきことは何なのかを意識した方がいい。やった方がいいことを削って考えて、やるべきことにフォーカスした方がいい。そうすると、実は他の人に移譲すべきだったり今やらなくてもよかったりすることに時間を使ってることに気づけるかもしれない。

忙しい時はなぜ今その仕事をやっているか考えられなくなりがちだ。これは仕方ない。大変だというのはわかる。けれども、そういう時ほど何をやるべきかを明確にすべきだ。不思議なことに、書き出すだけで非常に余裕が出ることもある。

書き出したら優先順位をつけた方がいいが、これは自分で判断できないこともある。そこで止まってしまいがちだが、判断できないなら誰が判断できるか見極めて聞けばいい。優先度を判断できないからと言ってガムシャラに全て上からこなそうとするとしんどくなる。

自分がいま成果を出すべきことは何なのかを見極めてないと、そもそもやらなくていいことがわからないので普段から考えておくとよい。その上で、それ以外のことはやらないようにするか後回しにするか調整する。調整できない、苦手という人もいるかもしれない。気持ちはわかる。けれども、これが自分にとってベストな進め方だと思うという考えを他の人に説明できないと割とつらいので何とか磨くべきだ。うまいことやってそうな人を真似するくらいしか思いつかないけれども。

要は仕事の進め方の話だ。優先度整理してシナリオ考えて説明できれば仕事の流速制御ができてだいぶ楽になる。特に、今まさにやるべきなのか、なぜやっているのかを考えるよう意識すること。

具体例がないから、そんなことわかってるよそれができないから苦労してんじゃねえかみたいな話になってしまった。もしかしたら真面目な方のブログにちゃんとまとめるかもしれないしまとめないかもしれない。

yomefm #2 日々の仕事とアニメの会話

yomefm #2を公開した。

yomefm.github.io

今回は前回よりさらに雑で、ほとんどアニメの話しかしていない。前回10分ちょっとやったんだけど、編集作業が意外とめんどくさかったので今後はもう少し短くしていこうかなと思っている。5分くらいでもいいかもしれない。

前回のフィードバックとして、もう少し嫁氏に話してほしいという意見があったので今回は少し意識してみたが、書き起こしてみるとほとんど俺が話していてウッとなった。まぁいつもと同じ感じなのでありのままといえばありのままなのかもしれない。

そういえば、収録の書き起こしをすることにした。時間短いし、少し面倒だけどできなくはなかった。書き起こしてみると、自分がいかに話が下手くそかよく分かる。もともと自分の滑舌の悪さや話の運びの悪さにうんざりしていて、練習のために始めたという経緯もあるので、書き起こしは改善フローを回すのにもよさそうだと感じている。音声嫌いだけどちょっと気になるみたいな人は書き起こしを読むといいかもしれない。

2. 日々の仕事とアニメの会話 | yome.fm

現状、収録10分 + 編集40分 + 書き起こし80分 = 130分くらいかかっている。 慣れてくれば、収録10分 + 編集20分 + 書き起こし60分 = 90分くらいに短縮できそうな気がする。60分に収めるには何かしらの自動化や工夫が必要っぽい。まぁそれは第4回くらいの後に考えることにする。

前回同様、何かあれば #yomefm のハッシュタグで何かしらフィードバックをもらえると助かる。と言っても、今回はあまりに中身がなく本当に雑談を垂れ流している感じなので何もないかもしれない。次回は開発っぽい話をする予定。

やっていくぞ。